CTCJ 共同執筆チーム

神の子として生きる

神の養子とされた。その現実を前にあなたが最後に感動を覚えたのはいつですか? クリスチャンは、信仰の土台として義認を理解することは多いのですが、神の養子とされた、というもう一つの深い恵みは無視してしまいがちです。養子とは、単なる神学上の概念ではなく、私たちのアイデンティティと神との関係を再構成する現実です。使徒パウロはガラテヤ人への手紙4章4-7節で、それを次のように描いています。「しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした」とあります。 これは、単純な赦しを超越した恵みであり、神ご自身との親密な関係をもたらすものです。

福音の全体像を見る

福音について考えるとき、何を思い浮かべるでしょうか? それは単に救いの方程式、つまり天国への切符のようなものでしょうか? それとも、私たちの存在全体がどのように形づくられたのかを紐解く物語でしょうか? 信仰に生きようとするクリスチャンにとって、福音を単なる過去の出来事としてではなく、今も生き生きと繰り広げられる物語として理解することは極めて重要です。この理解は、自分自身、世界、そして神との関係に対する見方を変えるからです。

福音に焦点を当てる 

福音とは何でしょうか。福音は単に私たちが信じる教理を説明するためのものだけではなく、生活のあらゆる側面を再構成するほどの力強さを持っています。それなのに多くの人が福音を狭い視点で捉えがちです。福音の全体像を把握できると、神学的視野が広がるだけでなく信仰も息を吹き返します。福音をただ理解するだけでなく生活の隅々にまで浸透させられるからです。

福音というレンズで見る

文化、社会規範、テクノロジーの変化が目まぐるしく見られる現代社会で、クリスチャンとしての私たちのビジョン、つまりレンズ、あるいは見方や視点といったものは本当に福音によって形作られているでしょうか。それはどうしたらわかるでしょうか。