福音の全体像を見る

福音について考えるとき、何を思い浮かべるでしょうか? それは単に救いの方程式、つまり天国への切符のようなものでしょうか? それとも、私たちの存在全体がどのように形づくられたのかを紐解く物語でしょうか? 信仰に生きようとするクリスチャンにとって、福音を単なる過去の出来事としてではなく、今も生き生きと繰り広げられる物語として理解することは極めて重要です。この理解は、自分自身、世界、そして神との関係に対する見方を変えるからです。

インターネットの功罪

スマートフォンのフィードをスクロールするたびにはっきりとわかることが2点あります。特に選挙の年は、顕著です。

今年初めにメタモダニズムについて書いた記事で、私はこれを「私たちの文化の現時点における懸念すべき兆候」と捉えました。「多くのメタモダニストは、非論理的な見解を指摘されてもひるまない。自分の立場が矛盾しているという内面的な破綻を気にしていないのだ」と記しました。オンラインでの生活には認知的な不協和音が蔓延しています。しかし私たちはそれをもはや不協和音としてとらえなくなってしまったのです。私たちは内面的な破綻との共存に折り合いをつけました。これがインターネット時代の私たちの生き方です。

福音に焦点を当てる 

福音とは何でしょうか。福音は単に私たちが信じる教理を説明するためのものだけではなく、生活のあらゆる側面を再構成するほどの力強さを持っています。それなのに多くの人が福音を狭い視点で捉えがちです。福音の全体像を把握できると、神学的視野が広がるだけでなく信仰も息を吹き返します。福音をただ理解するだけでなく生活の隅々にまで浸透させられるからです。

福音にあるアイデンティティ

以下は、シティ・トゥ・シティの「How to Reach the West Again(再び西洋に福音を伝えるには)」ポッドキャストのピート・ニコラス牧師へのインタビューからの抜粋です。ニコラス氏は、この対談の中で、福音と現代思想およびポストモダン思想を比較対照し、真理という土台のみが解放された確かなアイデンティティをもたらすことができることを示しています。

福音というレンズで見る

文化、社会規範、テクノロジーの変化が目まぐるしく見られる現代社会で、クリスチャンとしての私たちのビジョン、つまりレンズ、あるいは見方や視点といったものは本当に福音によって形作られているでしょうか。それはどうしたらわかるでしょうか。