牧師の妻があなたに知っておいてほしいこと

牧師の妻について、どのような誤解があるでしょうか? 本記事は、夫も父も教会開拓者であり、City to Cityと提携するパラカレオ(教会開拓者の配偶者のためのミニストリー)の創設者であるシャリ・トーマスが自身のブログSharithomas.orgに掲載したものです。

*以下「彼女」とは、これを読んでくださっているあなたの牧師の妻のことを差しています。

unsplash-image-o3zC_WgHZ1s.jpg

牧師の妻があなたに知っておいてほしいことトップ10

第10位 彼女はひとりの人間です

彼女は牧師の付属品ではありません。彼女の考えは、政治的、社会的、聖書的にも、夫のそれとは違うかもしれません。ただしそれを公にすると、夫の仕事に不利益になるかもしれないという立場にあります。彼女が本当に考えていること、それを知ったあなたは驚きであれ喜びであれ、衝撃を受けるかもしれません。

第9位 彼女には天職がある

それはあなたが期待しているものではないかもしれないし、彼女自身がまだ気づいていないことかもしれません。牧師の妻の多くは、夫が特定の牧師職に召されたことを、二人の共同の召命と考えます。しかしそう考えない人もいます。また、周りを失望させないために誰か自分の務めがどうあるべきか教えて!と思っている人もいます。よくわかりませんか? 私たち、牧師の妻もそうです。教会で何年も奉仕してきた結果、自分のことがわからなくなってしまったと告白する女性もいます。必要とされる場所で奉仕することに忙殺されてきたからです。一方で、教会以外の場所で天職に就くために、教会での奉仕活動を最小限にとどめている人もいるでしょう。

第8位 彼女は経済的に苦労しているかもしれない

あるパラカレオグループでのことです。経済的な苦労話になったとき、たとえ1ドルでもいかに有効に使えるかをネタに盛り上がりました。そこで、経済的困難のためにフードスタンプをもらったことがある人はいるかと尋ねると、半数の女性が手を挙げました。私は、多くの女性の経済状況がいかに厳しいものであるかを思い知らされました。あなたの牧師が妥当な給与体系のもとにあるかどうかチェックすることを検討してみてください。

第7位 彼女は教会全体と夫を共有している

教会の規模や他に有能なスタッフがいるかどうかにもよりますが、牧師は24時間体制で待機しています。家族での夕食、休日、休暇などが危機的状況で中断されることは日常茶飯事です。牧師家庭での不健全な境界線が原因の場合もありますが、ミニストリーには常に危機が伴います。特にリスクの高い地域では、自殺未遂、警察沙汰、虐待、結婚生活の危機などに最初に呼び出されるのは牧師であることが多いのです。結婚式、スポーツ大会、洗礼式など、共同体を形成するようなお祝いのイベントでさえ、牧師家庭という一家庭の時間が奪われます。牧師の妻は、このような形で信徒の生活に関わることを光栄に思っています。ただ、彼らの時間には健全な限界があることを認識してください。

第6位 彼女はゴシップによって傷つけられる

ゴシップの定義:特に他人の個人的または私的な事柄についてのくだらない話やうわさのこと。ゴシップは悪意のあるものである必要はありません。経験値として単純に言えるのは、他人の話をしないことです。自分の情報は自分で発信するようにしましょう。もし誰かから他の人の情報を聞いた場合は、ゴシップの連鎖を止めるために親切な方法を考えてみましょう。"あのね、きっとマージョリーは自分でその話をしたいんだよ" 悪意のあるゴシップであれば、毅然とした態度で臨みましょう。"この状況がどんなに悪くなっても、私はゴシップに参加したくありません。この話をしている人のところに一緒に行って、止めるのを手伝ってくれませんか?" 今では笑い話ですが、私も以前教会で自分さえ知らなかった自分の話を聞かされたことがあります。

第5位 彼女は他の人や自分からの非現実的な期待を背負って生きている

そのように生きている人は牧師の妻だけではないかもしれません。母親であれ、子供であれ、上司であれ、気難しい隣人であれ、私たちは皆、期待というプレッシャーを感じています。しかし、もしあなたが、教会のドアが開いている間はいつも教会にいなければならないという期待を背負って生きているとしたらどうでしょう。どのような服を着るべきか、子供はどのように振る舞うべきか、といったことを言われたらどうでしょうか。自分の子供はどう行動すべきか? 何を言うべきか、何を言わないべきか。お金をどのように使うべきか? あるいは、もっと多くの人を家に招いて食事をしないといけないと言われることは? このようなことが今でも頻繁に起こっていることに驚きますか? 牧師と結婚している女性の多くは、フルタイムで働き、いくつかの教会のミニストリーに参加し、婚前カウンセリングや牧師カウンセリングのためにカップルと会い、地域の行事にも参加しています。すでに十分に充実した生活を送っているのです。牧師の妻は、本当に耳を傾けるべき聴衆は天の父一人だけだと言うことを頻繁に思い出す必要があります。

第4位  彼女は教会内で友情を育むことが難しいと感じることがある

教会での友人関係が、お互いに好んで存在しているのか、それとも夫の役割のために存在しているのかを知ることは事実上不可能です。多くの女性は、夫が牧師を辞めたときに、自分の友人だと思っていた人たちが実際にはそうではないことに気づきます。クリスマスカードや社交的な場への招待、コーヒーを飲みながらの長い会話、ビーチへの旅行などは、友人関係によるものだと思っていたけれど、彼の立場がなければ友情は実際には存在しなかったことを発見して打ちのめされます。同じようなことが逆に起こることもあります。牧師の妻とは親しい友人だと思っていた会衆が、牧師一家が去った後同じような発見をするかもしれません。関係者全員が辛い思いをします。それでも豊かな友情を築くことは可能です。ただしそれには成熟が必要であり、いくつかの話題は触れてはいけない事柄であると理解する必要があります。

第3位 夫への批判が彼女を傷つける

牧師は、十分に働いていない、十分に弟子訓練していない、十分に説教していない、十分に信者を訪問していないと言われてきました.... 誰もが、牧師がすべきことについて、自分なりに仕事の定義をします。私自身は教会に雇われてもいないのに、以上のようなことで批判されたこともあります。しかし、こういった期待に応えることが不可能だと理解している人はほとんどいません。牧師は何時間働くべきでしょうか? 50時間? 80時間? やらなければならないことはたくさんありますが、通常、妻以外は誰も彼を止めることはできません。牧師は不満を持ったリーダーのコメントや、論争のある会議での発言を妻に分かち合うことがあるでしょうが、妻はそれが解決したときの会話には参加できず、解決したかどうかもわからないことが多く、状況を処理できる安全な空間がないままです。そして、他の多くの職業の配偶者とは異なり、そういった人々は、彼女が礼拝を共にし、夕食を共にし、子供たちを一緒に遊ばせているような人々なのです。異常に賢く、自分らしく、親切に真実を語ることができる牧師の妻に出会ったら、それは火の中をくぐり抜けてきた女性の前にいると思っていいのです。観察するだけでもいいので、彼女からあらゆることを学びましょう。

第2位 彼女はストレスと曖昧さを抱えながら生きている

曖昧さはミニストリーにはつきものです。牧師家庭の場合、システムが明確ではありません。家族の全員が教会に直接または間接的に参加しています。会衆から何らかの役割を期待され、それを牧師、配偶者、さらには子供たちが果たさなければなりません。このような曖昧さが、聖職者の配偶者に大きなストレスを与えます。最近つらい知らせを受けた人に示すような思いやりを、彼女にも示すことを考えてみてください。なぜでしょうか? それは彼女がそのような経験を一度はしたことがあるかもしれないからです。しかし大抵の場合と違い、彼女はその出来事やその影響を教会の他の人と共有したり、処理したりすることができません。信頼していたスタッフが辞めることになった、教会のリーダーの一人が不倫している、教会の支払いができなくなった、夫の仕事が危うくなった、親しい友人が教会に通わなくなった、などは、ミニストリーに携わる女性がよく直面する事柄と言えます。

牧師と結婚しているすべての女性が以上のような経験をしているわけではありません。思いやりのある素晴らしい教会のコミュニティを楽しんでいる人も多くいるでしょう。また、私が知っている牧師の妻のほとんどは、夫と協力して神の国が自分たちの街で拡大するのを喜び楽しんでいます。どんな違いがあっても、すべての牧師の妻に共通しているのは、

第1位 (誰にとっても当てはまりますが)彼女は他人の基準に合わせること、教会に通うこと、聖書にどれだけ詳しいか詳しくないか、服装にどれだけお金をかけるかかけないかで、自分の義を得るわけではない。

ということです。

神の法廷では、判決が下されています。彼女の欠点、間違い、恥、罪、そして善良さのすべてが、イエス・キリストの上に置かれたのです。イエスは、彼女が受けるべきものをその身に受けてくれたのです。そしてさらに、神は彼女にキリストの義を与えたのです。彼女には、義とされた愛すべき娘という評決が与えられたのです。

パラカレオのミッションは、教会開拓や運営に携わる女性たちに、福音をもって長期的に寄り添うことです。私たちは、女性たちが複雑なミニストリーの世界に立ち向かうための実践的で具体的なツールを準備し、福音を通して人生を見つめ、生きるための指針を提供します。パラカレオの、対話中心のトレーニングとツールは、福音の神学を土台としながらも、教育理論や最新の研究と情報から構成されています。

著者

シャリ・トーマス

Shari Thomas

神学、教育、国際的な教会設立などの教育的背景を持つ。2005年にParakaleoを共同設立。夫のジョン(City to Cityのトレーニング担当シニアディレクター)とともに、マンハッタンに在住。