年末のご挨拶

私たちの親愛なる友である皆さま

この1年を振り返り、私たちCTCJの業績が世界的に注目を浴びるようなものではないということは自覚しています。私たちが目にした実りと思えるものはどれも、皆さんの文脈ではそれほど注目に値するものではないかもしれませんが、私たちにとっては奇跡的な出来事の連続でした。

結婚関係と教会開拓

私が教会開拓への召命を確信するきっかけの最も大きな要因は妻の肯定的な態度でした。しかし、彼女も初めからそう確信していたわけではありませんでした。

教会開拓への召しを感じるまで、私はあちこち転々とする放浪生活を送っていました。妻と交際中にはインドの大学でチャプレンを務め、婚約中にはヒューストンのインド人教会で英語礼拝を担当していました。そして、結婚して6か月後、私はニューヨークへの召命を感じました。

すべての人が参加できる礼拝

私はあまりにも長い間、礼拝はクリスチャンと神との間の、独占的で双方向の関係の間にもたれるものという印象を強く持って生きてきました。私のイメージでは、礼拝とは、目を閉じ、手を上げ、感動に浸り、周りにあるすべてのものを意識せず、ただ私と神だけがそこにいるというものでした。

教会開拓者と牧師の違い

教会開拓者のトレーニングを専門とするコーチである私は、新しく教会開拓を始めようとする人々から、以下のような似たようなコメントをよく聞くことがあります。

  • 「教会開拓の壁にぶつかっているような感じがします」  

  • 「教会開拓を始めた時はあんなにビジョンに満ちていたのに、今はなんだか方向を見失っています。なぜこうなったのでしょうか」

  • 「期待したような結果も出ず、疲れ切っています。このまま突き進む力も湧いてきません。どうしたらいいでしょうか」

既存の教会で成功を経験したリーダーたちは、教会開拓という嵐の中で混乱し、幻滅していることにふと気づく時があるでしょう。結果、多くの教会開拓は成熟するどころか、5年以内に消滅してしまうのです。教会開拓におけるこのような失敗率は教会開拓に携わる団体なら注目すべき大きな課題です。

CTC DNA:文化に関わるとは?

大都会で宣教する場合、文化との交流は重要です。しかしそれも聖書の知恵をもってなされなければなりません。たとえ母国に住んでいたとしても、私たちは異なるグループや世代に囲まれています。それは都市なら尚更です。文脈化と文化との交流について、City to City DNAではキリスト教と文化との関係は重要だと強調しています。文脈化と文化との交流は関連し重複していますが、文脈化は主に教会のメッセージやスタイルがその時代背景や場所によってどう築き上げられているかに注力します。一方、文化との交流は、教会の周りの社会との関係に注力します。市民としての生活の中で「塩と光」であるとはどんな意味があるのか? 「巡礼者」や「亡命者」とは? といったことについて考えます。