祈りたくない人がいる時

祈りは難しい人間関係において平和を保ったり修正するための力強い命綱であるにもかかわらず、往々にして私たちはそれを活用しきれずにいます。欲求不満、怒り、距離感を持つ代わりに、祈ることで私たちは困難の只中へ神を招き入れるように促されます。それは神に私たちの心を練り直し、神の心を反映するものへと形づくってもらうためです。しかしイエスが命じた「敵を愛し、敵のために祈る」という教えは、私たちの本来の傾向とは全く対照的です(マタイによる福音書5章43-46節)。

祈る教会 

現代の米国キリスト教会はまさに混沌の中にあります。文化との戦いに疲弊し、次世代は世俗的な誘惑にさらされています。私が住んでいる北東部では、クリスチャンホームの子供たちが成人しても信徒であるケースは稀です。キリスト教文化という拠り所を失い、私たちは一般社会の価値観(ナラティブ)に影響を与えることさえできなくなっています。