教会を開拓する理由 「キリスト教会全体が常に新しくされるために」
新しい教会開拓と古い既存教会を刷新することのどちらかを選ぼうとするのは大きな間違いです。信じがたいかもしれませんが、都市での教会開拓はその地域の既存教会にも新しく活気を与え、キリスト教全体の刷新につながる最善の方法なのです。どうしてでしょう。
1.新しい教会はキリスト教全体に新しいアイディアをもたらす
絶え間なく流入してくる新しい集団、世代、住民を招くために新しい教会を始めようというアイディアには少なからず抵抗があります。手に入る全ての資源を古い既存教会が新しい人たちに伝道するために使うべきだという声も多く聞かれます。しかし、既存教会に新しい人々を招くための方法や技術を教えるのと比べたら、新しい教会を開拓することほど効果的な方法はありません。なぜならそこには新しい物を取り入れる自由度があるからです。つまり新しい教会は都市のキリスト教会全体の「リサーチ及び開発部門」になることができます。往々にして古い教会は特定の方法を試すのをためらったり、「ここではうまくいかない」と判断してしまいがちです。しかしまず新しい教会が新しい方法で大きな実りを得られると、次第に他の教会もそれに注目するようになり、自分たちも試してみようという勇気につながります。
2. 新しい教会は、キリスト教会全体のために創造力のある有能なリーダーを見つけられる場所になる
古い既存教会のリーダーシップは、伝統、在職年数、習慣、そして親密な繋がりを重視します。一方、新しい会衆は、創造力、リスクをかけてでもチャレンジすること、革新、将来性などに価値を見出す冒険好きな人々を引き寄せることが多いのです。その多くは教会の新しさという外見に惹かれなければ、そもそも教会に深く関わる働きに携わることもなかった人たちです。また既存教会では、優れたリーダーシップをもちながらも伝統的な環境で働けないような人は「枠」から外されます。そのため、都市の新しい教会では、他の教会では生かしきれない賜物をもった人々が集まり、実際にその力を発揮してもらうことができます。こういった新しいリーダーたちが、最終的には都市の教会全体に恩恵をもたらすことになります。
3.新しい教会は他の教会に自己評価を促す
一般的に新しい教会が成功すると古い教会は大掛かりな自己評価を余儀なくされます。既存教会は新しい教会と自身を比較して初めて、そのビジョン、長所、アイデンティティを特定できることがあります。新しい教会の成長は、古い教会に可能性という希望を与えます。また敗北感に満ちた悲観的な態度の代わりに、謙虚さや悔い改めがもたらされることすらあります。そして新しい教会、古い教会は共に協力して、一教会だけではできなかった働きを進められます。
4.新しい教会が地域社会全体の「福音の源」になる可能性
新しい教会で回心した人の多くが様々な理由で最終的には既存教会にたどり着きます。新しい教会はとても刺激的で外向的ですが、時に不安定でそのリーダーシップは未熟です。新しい信徒の中にはそういった定期的に起こる教会の激しい変化に耐えられず、古い教会へ移る人もいます。また新しい教会でキリストに導かれても、程なくその教会の社会的、経済的なレベルに自分が合わないことに気づくことがあります。そして自分の習慣や文化にもっと馴染みがある古い教会に引き寄せられていきます。このように自然なかたちで都市の新しい教会は自身のためだけでなく、古い教会のためにも新しい信徒を生み出すことになるのです。
つまり活発な教会開拓は、都市の「キリストの体」を新しくするためには最も効果的な方法の一つであり、その成長のためには欠かせないものなのです。
地域の古い教会が最初の一步を踏み出すこと、または少なくとも近くの教会開拓をサポートするのことが望ましい理由がもうひとつあります。
教会を開拓する理由 「神の御国を心の中心に置くために」
古い「母教会」から新しい会衆が自発的に生まれることは、結局は古い教会にとっての最善につながります。教会開拓の熱気、新しいリーダー、新しいミニストリー、会員数や献金の増加はいろいろな形で母教会に反映され、母教会も強められ新しくされます。新しい教会を築くために良い仲間や優れたリーダーが去っていく辛さはありますが、その母教会に再び自信に満ちた新しく熱心なリーダーと会員が押し寄せてくるまでそれほど時間はかかりません。
また新しい教会は他教会に大きな課題を投げかけます。それは「神の御国を心の中心」にするという課題です。今まで見てきたように、新しい教会が会員として受け入れる80%近くがそれまで教会に行っていなかった人たちです。しかし既存の教会からの転入者がいるのも避けられない事実です。この時点で既存の古い教会はある疑問をもちます。「新しい教会で神の御国に入った80%の人たちのために喜ぶべきなのか。それともこの状況に悲観してそちらに移って行った3家族に怒りを覚えるべきなのか。」新しい教会の成長に対する私たちの姿勢はある意味テストのようなものです。自分たちの心の持ちようが自分の教会にだけ向けられているのか、あるいは都市にある教会全体の健康状態と繁栄に重点を置いているかどうかの。
神の御国が大きく前進することに感謝する代わりに、自分たちの小さな喪失に嘆く教会は、心の狭さを自ら暴露しているようなものです。にもかかわらず、これまで見てきたように新しい教会開拓は最初はそれほど明確ではないものの、古くからの既存教会に確実に大きな恩恵をもたらすのです。
まとめ
冒頭部分に書かれた教会開拓への反論を再検討しましょう。その前提が間違っていたことがわかるでしょう。
議論A 古い教会が新しい教会と同じように新しい人々に伝道できると仮定していますが、新しい世代や集団を招くには、刷新された古い教会と次々と開拓される新しい教会の両方が必要です。
議論B 新しい会衆はすでに積極的に活動している信者だけを引き寄せると仮定していますが、新しい教会は教会に行っていなかった人たちをも多く引き寄せています。つまり新しい教会は「礼拝に参加する全体数」を増加させる唯一の方法です。
議論C 新しい教会開拓は既存教会を落胆させると仮定しています。最初にある程度の落胆はあるかもしれませんが、さまざまな理由から新しい教会は古い教会を刷新し活気付けるため最も有効な方法の一つだと言えます。
そして最後の議論では、新しい教会は人口が増えている地域でしか成功しないと仮定していましたが、実際には新しい教会には人口の変化にかかわらず人々が引き寄せられています。新しい人々が前の住民の代わりに入ってきたり、新しい集団が加わってきたら、全体の人口増加がなくても新しい教会は必要なのです。
都市でキリストを信じる者が確実に増えていくためには、新しい教会を開拓するしか方法がありません。そして多くの場合、「キリストの体」全体を刷新することが最善なのです。その根拠は、聖書、社会学、歴史に明確に示されています。そして最終的に神の御国を心の中心に置かなければ、私たちはそういった根拠にも盲目になってしまうでしょう。だから私たちは神の御国にしっかりと心を留めておかなければならないのです。
Copyright ©2002 by Timothy Keller.
© 2009 by Redeemer City to City
日本語訳 © 2023 by City to City Japan
この記事は自由に配布、利用していただいて構いません。ただし営利目的での利用、文言の修正、著作権情報の削除はご遠慮ください。