私のパラカレオ体験

牧師や教会開拓者の妻のための集まり、パラカレオ。今回はキャサリン・カーターさんにパラカレオ体験についてお聞きしました。

ーまずは自己紹介からお願いします

キャサリン・カーターです。2011年、東日本大震災の2週間後に夫マイケルと共にアメリカから宣教師として日本に来ました。今は名古屋の中心部で、保育園から小学生までの4人の子供たちを育てながら教会開拓しています。私は子ども英会話教室や日本の高校で教えたりしています。

父が軍の弁護士だったので、小さい頃から2年おきに世界中引っ越してきました。一応クリスチャンホームとして毎日曜に教会に通ってたけど、どちらかといえば習慣としてのクリスチャンライフでした。中学生くらいの頃から神さまを信じてはいたけど、高校時代3回も転校しなければならなかったのは私にとって本当につらかった。表向きは成績優秀、品行方正だったけど、心の中は葛藤や悩みでいっぱい、卒業式で答辞を読むことになり校長室に呼ばれても、誰も私のことを知らなかった! それほど存在感の薄い生徒でした。

ところが大学生になると親の転勤に左右されず、自分の意思で教会を探し、良いメンターにも恵まれ、クリスチャンのサークルに所属し、人生で初めて居場所を見つける事ができました。私はそれまでの時間を取り戻すかのように、学内のリーダーシップサークルの中心的な存在として活動し、誰からも一目置かれるようになったんですね。高校時代とは真逆。大学からは卒業後輝かしい未来を築く学生だろうと期待されていたほど。それでも何か満たされない。今まで夢見ていたことが全部叶ったのに、どこか無意味だなと感じてて、、、いくつかの有名企業からのオファーを断ってバージニア州に引っ越して高校教師になりました。数学が苦手な子たちにどうやったら好きになってもらえるかという仕事にやりがいを感じてた頃、マイケルに出会いました。彼は学生時代、日本に短期宣教師として住んでいたことがあって、また絶対に日本に戻りたいと思ってた。私も幼稚園の時に日本に住んでいた事があったので、日本に行くことも宣教師になることも抵抗はなかったんだけど、、、今思えば若気の至りというか、バカだったね~、笑。

ーそうなんですね。でも来日してたった2年の語学研修で周りも驚くほど日本語が上達したとか。お子さんたちも日本の学校に通っていますね。

はい、私自身がTCK(サードカルチャーキッド)として育ったので、我が家の方針はちょっと変わってるかも。子供たちは完全にバイリンガルで小学校6年生の息子は、最近私のLINEのメッセージや、バイブルスタディーのテキストを訂正してくれたりします。子供たちは感謝なことに日本の公立学校に馴染んでいて、これママとしてちょっと良くないかもだけど、小さい頃、叱らないといけないとき「そんなことしてたらインターナショナルスクールに転校させるよ!」って言うとみんな「やだ、やだ」とすぐに言うこと聞きました、笑。語学研修の後、当時所属していた宣教団体のケースとしては珍しかったけど、日本の教会で日本人牧師のもとインターンとしてトレーニングを受けることになりました。その教会の牧師夫妻とは年が近くて、共に働くことが本当に楽しかった! そして、この教会から派遣される形で今の開拓が始まりました。子ども英会話、料理教室、アートの展覧会など、名古屋の中心で生活する人たちに福音のエッセンスを届けたいと思っていて、去年初めての礼拝もできました。

ーパラカレオに参加したきっかけは?

アメリカにいた頃から話だけは聞いていて、ずっと参加してみたかったけど日本で開催されたパラカレオはどれもなかなかタイミングが合わなくて、、、去年やっとアメリカのパラカレオにオンラインで参加できました! 実はコロナ感染拡大の初期、出入国の制限がかかることを心配してくれたある長老さんの勧めで、急いで家族でアメリカに一時帰国しました。日本を離れてみてわかったんだけど、本当に私たちバーンアウト寸前だったね。アメリカに帰国して最初の3ヶ月は日本語を使う気すら起きないほど疲れ切っていて、とにかくひたすら休みました。するとだんだんわかってきたんです。あの敬愛する牧師夫妻と共に働くというとても楽しかった環境から、都市部に家族で引っ越したストレスは思ったよりも大きかった、って言うことが。コロナもあって人にも会えず、離れ小島に置かれたような感じでした。「ああ、自分たちにはコミュニティが必要だったんだ」って、開拓初期の忙しさに紛れて忘れていたけれど、その必要がなおざりにされている状態はとても危険だった、ということが身にしみてわかって、だからこそパラカレオみたいな働きはすごく必要だと思ったんですね。

パラカレオに参加する前と後とではどのような変化がありましたか?

パラカレオには福音を思い出し自分に適用するツールがいくつかあるんだけど、私は元々はそういうものをあまり使わないというか、そういう性格なんだなということにまず気付きました。その上でツールを使ってみると、意外と具体的に役立つことが多くて、自分だけでなく周りの人にも紹介できるいいツールなんだなと思いました。

あとパラカレオのトレーニングには大きく分けて、ベーシック、ベーシックおさらいコース、アロングサイドと三つの段階があります。アロングサイドは誰かに寄り添い、傾聴し、アファーメーションを与えることを学ぶ、主にトレーナーになるためのコースなんだけど、私にとってはその前の二段階と同じように、最後のトレーニングも自分を見つめるという上で本当に良い経験でした。例えば、これまで自分がTCKであることは認識していたけれど、私にとってそれがこれほど大きな影響を与えていたとは、このコースを取るまで気付きませんでした。まさに神さまに目から鱗をとってもらうような体験でした。

ー牧師の妻や開拓者として、ご自身の経験上、難しかったこと、嬉しかったことをそれぞれ教えてください。

説明するのが難しいんだけど、宣教師の妻と主任牧師の妻とではやっぱり違いがあるね。開拓教会で主任牧師の妻になり、人から期待されていることが変わったと感じた時は難しかった。

嬉しかったのは、教会とは無関係だった人、しばらく教会から離れていた人たちが、新しく開拓された教会ということで来てくれるようになったことです。不思議なのは、私たち夫婦、全然教会開拓に向いてないと思うし、弱さだらけ、失敗も多いのに、その弱さにこそ神さまが働いてくださっているということ。例えば、開拓にはチームが大切だけど、今は国際色豊かな3家族が集まって、共にチームとして働いてくれるようになりました。ほんと、弱いカーター家に神さまがその働きを表してくださっているという感じです!

ー家庭と仕事とのバランスはどのようにとっていますか?

うーん、バランス、取れてないかも~。今は子育て中心だけど、私、本当は仕事が大好き! だから毎年12月に一年を振り返り、来年どんなことをしたいか、優先順位を夫と話し合う時間をもっています。

ー自分自身のケアはどのようにしていますか?

私にとって毎日のデボーショナルタイムは絶対に必要! それから本は私の1番の友達、時間があればちょっと外に行って一人で本を読むことも。最近はカウンセリングの本とか読んでます。小説も好きだけど、読み始めると止まらなくなっちゃうから、長いお休みの時に読むようにしてます。

ー座右の銘は?

う~ん、マコトフジムラさんというアーティストが描いたconsider the liliesという絵があるんだけど、その元になったマタイ6章かな。短く言えば、「全ては神様に備えられている」、です。

今後、パラカレオについて、日本でどんな活動や展開を期待していますか?

正式なパラカレオではないんだけど、コロナ前に同じ教団の東海地区の妻たちに声をかけて、定期的に集まって会を開いていました。やっぱりみんなそういう場所が必要なんだよね。そういう集まりがこれから教団教派を超えて広がっていくためにも、日本でのパラカレオの働きに私もできるだけ協力していきたいと思っています。

キャサリン・カーター

Cathalain Carter

米軍勤務の父の転勤に伴い、幼少期は日本に滞在。地元の幼稚園に通い日本文化に触れる。フロリダ・サザンカレッジを卒業後、バージニア州の高校で教鞭をとる。2007年にマイケル・カーターと結婚、2011年に夫婦で愛知県岡崎市にあるYAMASAインスティテュートで日本語を学ぶ。日本長老教会滋賀教会でインターン、1年間のアメリカでの宣教団体への報告、マイケルの牧師按手礼を経て2016年に日本に帰国。2018年日本長老教会と協力して現在の名古屋市中心部にある名古屋ミニストリーセンターを購入。現在は英語アウトリーチ、料理教室、祈祷会、聖書勉強会、コンサートシリーズ、ミニギャラリー、アートミニストリーなど、地域社会で様々な役割を担っている。 2021年4月に礼拝開始、2022年4月には、"ソフトローンチ "期間開始、教会を公表せず、友人、隣人、コンタクトを招待することに重点を置いて 、2023年1月に「グランドオープン」することを祈りつつ準備している。