CTCJではlight projectとパートナーシップをもち、教会開拓者に、開拓初期から自分自身を含め教会員の信仰と仕事について関心をもつことを勧めています。今回は、その信仰と仕事について株式会社創世ライフワークス社の野田和裕氏にインタビューしました。
ーまずは自己紹介からお願いします。
株式会社創世ライフワークス社代表取締役をしている野田和裕です。東京基督教大学支援会神奈川県の担当で、同大学のスポット講師を務めています。1974年福島県生まれ、東京基督教大学神学部神学科卒業後、東京のキリスト教専門葬儀社で宣教の働きの見聞を深めるために3年間働きました。その後、祖父(福島県:聖光学院高等学校創設者)が創業したキリスト教精神に基づく創世グループに入社。主任、係長、課長等の責任を経た後、独立を志しました。祖父のクリスチャンビジネスマン精神にならい、2006年より単独で商人の街、大阪に移り、関西全域を対象としたキリスト教専門葬儀社、株式会社創世ライフワークス社を設立。23年間のキリスト教専門の葬儀経験を生かし、新しい葬儀の形・仕組み・低価格の提案を目指し事業を展開中です。近年は、「死をみつめる事は、豊かな人生を築くことにつながる。死をみつめ、真剣に生きる事を学ぶことが大切」をモットーに、終活そして葬儀をトータルサポートする事業展開を目指しています。現在は鎌倉・大阪・京都の三拠点から葬儀・終活を通して福音の働きを試みています。
ー3代目のクリスチャンだそうですが、ある挫折を経て真の信仰を得たとか。
クリスチャンホームで生まれ育ち、キリスト教が当たり前の家庭環境でしたが、主イエスを本当に受け入れているかというと、実際は救いの確信がない状態でした。中学時代に人生の意味を見失い、一年間高校浪人をした時期があります。親元を離れ、父の知人の牧師の元で居候し、一人で受験勉強をする生活でした。完全に親元を離れ、同じ世代の友人もいない思春期、ある日牧師とちょっとしたことで言い争いをし、集会の場から飛び出たことがありました。(今考えると大したことではなかったと思いますが当時の若い自分にとっては死にたくなるほどの挫折感を感じた記憶があります)。まだ15歳そこそこ、とてつもなくつらく悲しい気持ちになりました。親元にも遠方で帰れない。友人もいない。誰も助けてくれない。土砂降りの雨の中、無我夢中で走り、気付けば警察に補導され…。ふと、空を見ると土砂降りだった雨は一気に晴れ、空一面に満天の星空が広がっていました。その時、どんな土砂降りの人生でも、その雲の上にはいつでもキリストの愛が変わらずあることを知りました。その愛を心底感じたのを強く覚えています。そこから神の存在、神の愛を強く意識する人生が始まりました。
ー20代前半で多くの死に接する経験、ご自身の死や生についての考えは変わりましたか?
現代に生きる私たちは、死を意識するのが難しい環境や文化の中で生きています。しかし葬儀社となると、その死を毎日当たり前のように仕事として対応していくことになります。ご老人の死、若い人の死、赤ちゃん、交通事故、殺人、自殺、孤独死等々。クリスチャンといっても多くの死の在り方があります。クリスチャンだからと言って苦しまずに亡くなるわけではなく、大半の方々が苦しみを経て天国へ凱旋する現実を知りました。
また生きている者すべて必ず死ぬという現実をリアルに自分ごととして感じることができました。そうなると、今生かされているこの人生、本気で全力で生きる大切さをしみじみと感じるようになりました。神に与えられた使命を果たすべく、この人生を全力で必死に生きる。そんな生き方がいつしか自分のアイデンティティになるきっかけになったのは間違いないと思います。そのような背景にあって、キリストに愛されていることを知る、つまり本当のいのちにつながる働きを発信していこうと決意し、ライフワークス社設立に致りました。私自身は、弊社を葬儀社と意識したことはほぼありません。どちらかというと、葬儀・終活の観点から真剣に生きることを考えるお手伝いをしていく会社として運営しております。
ー会社員時代難しかったこと、嬉しかったことそれぞれ教えてください。
私にとって一般的な会社員時代は大学を出てからの3年間だけだったと思います。というのもその後、創世グループの父の下で働いた時代は、会社員というより自由に働けるフリーランス的な立場でしたから。新卒3年間は月に3日も休みがあるかないか、ほぼ24時間365日体制で、葬儀が入ったら出動することになるかもしれない、といったいつもオンの状態が続くことが大変でした。逆に、福島出身で昔から東京に住みたいという憧れがあったので、JR中野駅徒歩5分のところに住めたのは嬉しかったですね、笑。
その後、起業までの5年間は父の下(当時1000人規模の会社)で働きましたが、創業者の祖父や社長の息子という事もあり、周りからは次期後継者的な立場として見られました。しかし実際はそんなレールを敷かれることは全くなく、ほったらかしにされていことの方が辛かったですかね…(父はワンマン経営者なんで、後継者の事とか息子に代を譲るとかの意識が全くなかったんじゃないかと…)
嬉しかったことは、任されていた語学学校が自分のアイディアと行動で大きく変革し、赤字経営から黒字経営に変わったことです。この自由奔放な父の下で働くことで、自分自身まず一人で生きていくという強さが磨かれましたし、この5年間で自力でビジネスの基本、営業、企画、経営の基礎を学んだ気がします。
ー起業して難しかったこと、嬉しかったことをそれぞれ教えてください。
高校浪人した時代が本当に一人で辛かったので、そこからゆっくりと超ポジティブシンキング脳に意識を変革するトレーニングを続けていきました。起業するぞと決めてからは、楽観的に人生すべてうまくいく思考で邁進するスタイルに変革しました。なので辛いってことが無くなった気がします。逆に辛いことが来ると「おっ困難がきたぞ!また成長できるチャンスだ!」的な感覚で乗り越える癖がついたと思います。
この背景には、戦後畳一畳分のスペースでペンキ屋を始めた祖父のスピリットがあります。葛藤の中さまざまな宗教をめぐりたどり着いたのがキリスト教会でした。そこで自分の肩に手を置いて祈ってもらった祖父は、他者のために祈るという姿勢に感動し、キリスト教を広めたいと情熱と祈りをもってビジネスを広げました。
起業してから今年で17年目になりますが、ビジネスは山あり谷ありで難しいこと嬉しいことの連続です。特に小さな会社なので共に働いていたスタッフが辞める時と辞めた後の体制を取り戻すのが毎回難しいところです。逆に嬉しいのは働く仲間が増えて共にフューネラル(葬儀)ミニストリー的な意識で働くことができていると実感できる時ですね。
ーフューネラルミニストリーですか。
はい。いわゆる団塊の世代は2025年には75歳、人口の五人に一人が後期高齢者になります。今まさにもう多死社会に移行していっているんですね。一般的に宗教心は薄れつつあるのに、この世代の70%はキリスト教式結婚式を経験しているので人生のセレモニースタイルは西洋化しているんです。ですから例えばケアホームを併設している教会で、未信者の利用者からキリスト教葬儀を依頼されることも多々あるそうです。今後、そういったニーズに私たちのような働きがどうアプローチしていけるか、オンラインでの勉強会など立ち上げ、全国の教会から牧師も含めて参加、検討しているところです。
ー仕事と家庭のバランスはどうとっていますか?
私はプライベートと仕事との垣根がないような生き方を目指してます。つまり仕事をしているという感覚がないんです。趣味のような遊びのような、そんな楽観的な感覚で仕事(ライフワーク)と向き合ってます、笑。
神様に与えられた楽しい課題を責任感をもって前進させていくような感覚なので、ちょっと気を抜ける場として家庭がある。家でも結構、仕事のことは何でも話します。妻が良き相談者であり、アドバイザーであり、コンサルタントで、彼女がいたからこうして意識高くビジネス展開をできていると思っています。つまり家庭とビジネスは、バランスをとるのではなく表裏一体であり、私の生き方、在り方全てがライフワーク(仕事)ではないかと思っています。
かつてのアメリカ大統領ビル・クリントン夫妻がある時立ち寄ったガソリンスタンドで、ヒラリー夫人の昔のボーイフレンドに遭遇。彼と結婚してたらどうなってたかと冷やかす大統領に、夫人は「何言ってんの、だとしたら彼が今頃大統領よ」と即答したとか。まさに妻あっての今の自分だと思っています。
ーご夫婦で共同経営のような感覚ですか?
妻がオフィスに出勤して働くとかではないですが、ビジネスに役立つ情報にはアンテナを張っているので、いつもいいアドバイスをしてくれるんです。例えば最初都心にあったオフィス移転の際には、通勤時間は無駄、徒歩5分以内での移転をと意見してくれたおかげで今のようなワーキングスタイルが成り立っています。また、まだ男性ばかりだった弊社に女性スタッフ二名が同時に応募して来た時、「二人なら助け合ってあなたのもとでもやっていけるから」と採用を勧めてくれました。私自身では考えつかないことでしたが、実際採用してみると女性スタッフならではの気遣いもありますし、男性スタッフだけだとだらしなくなってしまうところがピリッと気を引き締めて仕事に取り組む空気が生まれました。
ーいい意味での緊張感ですね。ご自身のケアはどのようにしていますか?
毎朝5時過ぎには起床し、短く祈りとディボーションをして活動を開始します。犬と戯れながらラジオ体操をして30分は犬の散歩。時間があるときは週2-3回はジムに行き、40分ほど筋トレ。軽く朝食を取り、出勤して、葬儀や急な仕事がない時はサウナに行きます。多い時は週に3回。関西出張時は、サウナ付きの宿に泊まり、朝と仕事終わりにサウナに入ります。趣味をできるだけ楽しむようにしていて、最近は250CCのバイクで仕事の合間を見計らって遠出し、サウナに入って帰ってくるのがカラダと心のケアになってます、笑。
つまりストレスフリーになる生活習慣を意識的に取り入れています。葬儀が立て込んでなく、急ぎの仕事がない時は、まじめにダラダラと会社に居ません。サッと早めにオフィスワークを切り上げ、妻とカフェに行ったり、バイクで2時間ほど流したり、意外と自遊人的なスタイルがいいのかもしれません。
ーコロナ禍でご自身の仕事や家庭生活にどのような変化がありましたか? それにどう対応していますか?
仕事はコロナ禍で一気に葬儀スタイルが簡素化しました。コロナが始まった当初、ビジネスの方向性の在り方を間違えた企業は倒産したり経営が厳しくなりました。弊社は、コロナ禍であっても「家族だけでもしっかりと全力の葬儀をやりましょう」をテーマに経営を進めて行きました。また、葬儀は多くの方々が集う3密になりやすい形態なので、最善の注意を払い葬儀を運営するよう全スタッフに伝えてきました。これまでコロナに感染するスタッフもなく守られて経営ができております。どんな時も慌てることなく冷静に物事を見ながらしっかりとポジティブに展望していく。なので特に大きな変化なく進んでいると思います。
ー座右の銘は?
ポジティブに生きることが成長の秘訣だと思います。なので以下のみ言葉好きですね。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことも感謝しなさい。」テサロニケⅠ5:16-18
ー若いクリスチャンに職業選択について何かアドバイスはありますか?
志があるところに進むべきだと思いますね。給与がいいとか親や牧師に言われたとか、他人の人生を歩むのは止めるべきです。自分の人生ですから自分らしくあなたらしく生きたほうがいい。今、やりたいと思う最高の働きに勇気をもって進むべきです。「志をたてさせ事を行わせて下さるのは神です」とあるように、自分の心の声に素直になってやりたいことを目指して選んでいけばいいし、失敗を恐れて動けないでいるよりは恐れず一歩踏み出したほうがいい。その一歩を踏み出さないでいれば確かに失敗はないでしょうが、人は失敗から成長します。行動しないこと自体が一番の失敗です。失敗してもいいからやりたいと思うことを行動に移していく。その繰り返しの中で確実に成長につながっていくし、それが社会で大胆に生きていくってことではないかと思います。
ーCTCJでは教会開拓者の資質の一つとして起業家精神を挙げています。今後教会開拓者自身が、信仰と仕事について、聖と俗といった二元論を超えていけるとしたら、どんな姿になっていくでしょう。教会開拓を始めた方、これから考えている方に信仰と仕事についてアドバイスはありますか?
教会の牧会においてビジネス目線は大切だと思います。特に都市部の教会に集う方々の多くは、日々ビジネス社会で生きています。そういう社会でのルール、働くという気持ちがわからないまま、聖書を神学的な観点からのみアプローチするのではますます浮世離れしていき、これからの時代の牧会は難しいのではないでしょうか。ですから、例えば、神学を学んでからでも教会開拓者が最低3年ほど、宣教以外の働きの経験をしてみてもいいのではないかと思います。商いというプロセスでお金を稼ぐという経験、週の間フルに働いてクタクタなのに日曜日にも教会に行き奉仕するという現実、そういったことを実体験しているかいないかの違いは大きいと思います。
例えばクリスチャンは清貧でなければならないといった既成概念がありますが、どちらかといえばお金を稼ぐとか、社会で成功をする、といった単純なことがひいてはクリスチャンとしての証にもなる。賀川豊彦といった明治初期のクリスチャン経営者たちの情熱が社会に様々な形で貢献しましたが、今の時代、その情熱が何となく薄れていっているような危機感を感じますね。そういうふうに教育されてきちゃったんでしょうか、、、本当の意味で神さまからいのちを与えられ、人生の目的を与えられていると認識したら、どんな仕事でも全力で向かい楽しむ、そこには聖と俗、仕事と家庭、といった垣根を超えた喜びがあると思っています。