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夫のデイミアンと一緒に教会開拓を始めた当初、私たちは期待に満ちあふれ、マイナスな思いはあまりなく、打ちのめされそうになるような試練に会うなどとは、あまり考えていませんでした。どちらかといえば、夫も私も、どんな病も罪も打ち負かされることを期待するばかりで、苦しみのど真ん中にいるときにこそ神の大きなストーリーがあると知り、神を信頼する、ということが見えなくなっていたタイプでした。クリスチャンの数が日本の人口の1%以下であるという中、人が回心し、神が彼らの内で働いている様子を目の当たりにして、神を誉め讃え、感謝しました。宣教団体の支援を受けていなかったので、自分たちと教会スタッフの収入源として様々なビジネスをしました。毎日、キリストを知らない多くの人が建物を出入りし、私たちの小さなクリスチャンコミュニティーと何らかの関わりを持っていました。私たちの計画は順調に進んでいるように見えました。しかし、ある日、ビジネスパートナーだった人がビジネスを辞め、教会を去り、私たちは投資してきた全て、また、友を失いました。
それからの数ヶ月、私は神と教会に幻滅していくのを感じました。このような出来事があったという情報が様々な人の耳に届いていく中、裏切られたんだという思いが私を圧倒するようになり、この時初めて、それまでも耳にしていた牧師の妻の孤独というものに直面しました。外面は強くあろうとしましたが、心の中では「神さま、私をここから出してください!」と叫び声をあげていました。勢いを失い、開拓精神は折れてしまい、希望が私から消えていきました。その時、どうにか沈んでしまわないようにと必死にもがいていた他の牧師の奥さんたちのことを思いました。暗闇があまりに深くなっていく中、私が心で叫んで訴えていたのは「神さま、私は全てあなたのためにしてきたのに、なぜ私をこんな目に合わすのですか?」ということでした。「教会開拓」は、もはや福音のことではなく、私の自分の努力というものになってしまっていたことに気づかされました。福音は私自身、自分の心に語るものではなく、他の人にあげるものになってしまっていました。このように私が乾ききっている時に、神さまがパラカレオに出会わせてくださいました。
パラカレオは、教会開拓に携わる女性に寄り添い、その一人ひとりが最も真実なアイデンティティーを抱いて生きるようにと自由にしてくれる力強い福音を体験する場所を創り出すことを目的とした非営利の団体です。福音において自分の心をコーチングするツールを使って訓練し、結果として結婚生活や家庭や教会において、その実が現れるようになります。パラカレオを体験した最初の日本人として、日本にいる女性にこのような福音のツールをより効果的にもたらすことができるようにと、オンライングループ、リーダー育成コース、また見習い期間を経て、歩んできました。
日本には、権威を持つ人に多くのことを求める風潮があります。牧師の奥さんも例外ではありません。夫たちにとってそうであるように、私たちもまた、誰か側に来て、私たちを’福音ダンス’(悔い改め、信仰、愛の従順を意味するパラカレオ用語)に招いてくれる人を必要としているのです。2015年、私はシンガポールで初めてパラカレオに参加した時、’神に愛されている娘である私’でいることの自由を改めて知りました。それはとても深い意味を持つ経験で、福音の深さに目を開かせてくれただけでなく、他者への憐れみを思い出し、また私に与えられた役割を改めて新たに受け入れるようにしてくれました。
私が通ってきたことは、珍しいことではありません。クリスチャンであっても、福音の真理は、いつの間にか心から漏れていき、外からの期待に屈してしまうことがあります。だからこそ、パラカレオが提供しているツールを使って、開拓者の妻である私たちが、福音において心をコーチングすることを学ぶことが必要だと思います。神の恵みの大きなストーリーの枠で自分自身のストーリーをよりよく理解できるようにとお互いを助け合うことができます。多くの教会開拓者たちが同じ志の牧師たちとネットワークを築き、妻たちが取り残されるということはよくあることですが、彼女たちにとっても、側に来て一緒に歩んでくれる誰かの存在は極めて重要で必要不可欠なのです。女性が花咲くために必要なツールを届けることを求めて始まった、ここ日本におけるパラカレオの小さな始まりのために、お祈りください。