教会開拓者のみなさんにオススメするブックレビューシリーズ第二弾、前回と同じくグレイトリー詩子(パラカレオトレーナー)、廣橋麻子(CTCJスタッフ)による対談をお届けします。今回二人が選んだのは…
「エンド・オブ・ライフ」 佐々涼子著 集英社 2020
「命の閉じ方」をレッスンする。ベストセラー『エンジェルフライト』『紙つなげ!』に続く、著者のライフワーク三部作の最終章。200名の患者を看取ってきた友人の看護師が癌に罹患。「看取りのプロフェッショナル」である友人の、死への向き合い方は意外なものだった。最期の日々を共に過ごすことで見えてきた「理想の死の迎え方」とは。(Google booksより)
ー今回のブックレビュー対談に至った経緯は?
A:以前、「チームオベリベリ」を詩子さんに紹介してブックレビュー対談をしましたが、今回は詩子さんから「エンド・オブ・ライフ」を紹介されました。他にも色々ある中で、特にこの本をお勧めしてくれたのはどうして?
U:亡くなる直前に信仰告白をされてキリスト教葬儀をした方の奥様がこれを読んで考えさせられたとおっしゃっていたのね。親の世代にも自分の世代にも、段々と老いや死が身近になっていることを感じてたのもあって、読んでみようと。
A:そうだったんだ、紹介してくれた時、私はちょっと忙しくて他の本もあまり読めていない時期だったのだけど、ひと段落したらどういうわけか思い出して。図書館に予約して届いて読み始めたら2、3日であっという間に読み終わって、静かな感動がありました。
ー読後感は?
A:終末医療についての本なので冷静なドキュメンタリーと思って読みだしたけれど、著者の実体験も含め、私小説のような、フィクションのような、不思議な本でした。クリスチャンとして長年教会で人の誕生、入学、卒業、就職、婚約、結婚、葬儀などライフイベントを見てきたけれど、中でも葬儀は一般の参列者から「希望を感じられるいい式でした」という感想を聞くことが度々あったのね。私自身は仏教徒の家庭で育って色々な葬儀を見てきたけれど、逝く人、遺される人の喪失感や痛みに関しては、どの宗教の信仰でも違いはそれほど無いなと思ってて。あとクリスチャンであっても、そもそも死という残酷な現実は本来あってはならないもので、怒りや抵抗を感じてもいいのじゃないかなと。だからキリスト教葬儀があまりにも希望だけにフォーカスしすぎるとしたら、それはそれで違和感があるかなとは思っていました。詩子さんはクリスチャンホームで育っているけど、死についてどういうイメージをもってきましたか?
U:キリスト教会では、キリストの誕生、死、復活と、ある意味「生死」について話されることが多いよね。私自身、高校卒業と同時にイギリスに留学するにあたり、母から「いつ何があるかわからないから、自分が死んだ後に見られたら困るものは整理していきなさい」と言われ、私も割と素直にそうだなと受け止めて、ある程度片付けて旅立ったのね。でもそれをある時、他の人に言ったら「ええ~、そんなこと言われたの?」って驚かれて。で私のほうも「え、それって普通じゃないの?」とその人の反応に逆に驚いたりして、笑。クリスチャンはこの世では寄留者、旅人だと思っているから、私にはそういう感覚当たり前だったんだよね。「クリスチャンて死ぬの怖くないんですか?」って聞かれることあって、基本的には行き先が決まってるからもちろん怖くないんだけど、年を重ねると死ぬってやっぱり怖いって直感的に思ってしまうことも。。。死について人にどう話したらいいかは今もまだ考え中。
ー一番印象に残ったのは?
A:クリスチャンのご家庭で、ご主人が在宅医療を選択し、家族もそれを支えるケースがあったよね。終末医療は痛みをコントロールすることが患者さんの生活の質にとって大切なんだけど、ご主人は家族のため、自分のため、最後まで「闘う」と、薬で眠らせてもらう提案は受け入れなかった。眠ったまま逝くのではなくて、少しでもコミュニケーションを取る時間を残したかったと。看護師をしている甥御さんだけがいらない痛みは我慢しなくていいとの配慮から「おじさんは何と闘ってるんや、これは勝てへん勝負や」とメールを送ってきて、でもご主人は「あいつらしいなあ」と、それ以外は言わなかった。ご家族にしても何が正解かわからない、でも不思議と後悔がない、「汝病める時も、すこやかなる時も、死が二人を分かつまで、愛し、慈しみ」と言う誓いをお互い全うできたんじゃないか、と言う奥さまの後日談は、同じクリスチャンとして印象的でした。
U:在宅医療の本を書いてほしいと、闘病中の友人に頼まれた著者が何度もインタビューを試みるでしょ。でもなかなか核心を話してもらえないと思っていたら、最後にもう十分見せたでしょうみたいなことを言われるところがあるんです。それが結構衝撃だったというか。在宅医療専門看護師として今まで看取る側だった彼が、仕事もやめ、すべての治療もやめ、家族と自宅で過ごす。ただ「生きて死ぬ」という人間のシンプルな現実を突きつけられたような気がしてね。やっぱり人って誰もが「生きて死ぬ」しかないのかな、って。だから生まれ変わりとかあの世とか、死んでからのその先を信じることに豊かさを感じるのかもしれないなあと思いました。神は人に永遠への想いを与えられたっていうのは本当だなあと。
ーこの本を読んで得た新たな発見とは?
A:私、「痛み」そのものについてそれほど深く考えたことがなかったことに気がつきました。「痛み」はある、という前提で、それにどう向き合ったり取り扱ったらいいかということはよく話されるし、考えるし。この本の中で、近代ホスピスの創始者といわれるシシリー・ソンダースの痛みの分類について説明されていたでしょ? 大きく分けて身体的、精神的、社会的、そしてスピリチュアルという4つに分けられるって。最後のスピリチュアルペイン、つまり「魂の痛み」「霊的な痛み」は、「自分の人生の意味は一体なんだったんだろう」と考えたり、自分の存在が無に帰することを想像して絶望してしまうことなどを意味しているそう。興味深いのは、緩和ケア専門医が関わった1000人以上の患者さんのうち、「身体の症状がほぼ無いのに人生の意味を突き詰めて考え苦しんでいた方」が数人いらして、それはスピリチュアル・ペインなのだろうと言っていたこと。つまり身体的な痛みや辛さは、精神的に落ち込みや絶望、恐れにつながるから、痛みのコントロールは確かに必要だけれど、それがなくても「霊的な痛み」を感じることがある、という点に驚きました。でも同時に、自分も含めて確かにこれはあるかもしれないなと腑に落ちる感じもあった。
U:確かに。霊的な痛みへのケアがされたら、他の痛みのケアにつながっていくだろうし、変化が生まれていくかもね。考えてみたらイエスはあの痛みの四つの分類すべてをケアしてたんだよね。他の専門家とも連携して、教会は霊的な痛みを扱うことが託されているのかも。
ー教会開拓関係者にとって、この本のどんなところが参考になると思う?
A:教会を開拓すること自体は新しく教会やクリスチャンを生み出す、医療でいう産科かもしれないけれど、日常的にはさっきも言ったみたいに、産科以外の分野が必要になってくるよね。以前、開拓期の教会にいた頃、英会話クラスに長年世界中を航海する仕事をしていた方が来られたのね。お話が面白くて、英会話なんかそっちのけで、嵐の時はどうしてたかとか、世界中の港の話とか聞いたりして。その彼が日曜の礼拝に来てすぐに「信じます! 洗礼受けます」と言われたので驚いたんだけど、それまでの長い人生経験の中で準備ができていたんでしょうね。私はそのあとすぐ引っ越してしまったけれど、数年後彼が入院し亡くなったことを人づてに聞きました。教会としては生まれたばかりの開拓教会に人生の終わりを準備しに来る人がいることもある、当たり前かもしれないけれど、若かった私はそういうことに疎かったと思います。
U:開拓教会は若い人たちが集まる傾向があるけれど、彼らにはご両親や年配のご家族がいたりして、この世の人生の終わりへの関心が全くないわけじゃないものね。私たちも過去に病床に呼ばれることが何回かあって、ご本人が信仰を告白しても、ご遺族の意向でキリスト教以外の葬儀をされることもありました。ご本人の立場に立ったら複雑な思いではあったんだけど、葬儀って遺された人がこの喪失にどう向き合うか、愛する人をどう弔いたいかでもあるんだよと牧師である夫に言われて、そうか、、、と。
A:なるほどね。あと、これもある牧師からお聞きしたんだけど、人の死に接するのは、仕事とはいえ、牧師であっても喪失に対するストレスがあると。病院にお見舞いに行ったり、突然の入院で駆けつけたり、葬儀の手配やご遺族のケアと忙しい数日が過ぎて、ふと食欲がないとか、夜眠れないとか身体的な症状が出るんだそう。それでやっと「死」を間近に取り扱った負荷を認識したことがあるって。開拓者自身、自分も周囲も含めて「死」に接した時のケアについて考えておく必要があるのかもね。
U:そうね。それと、クリスチャンは、ただ「生きて死ぬ」だけじゃなく、「生きて死んでまた生きる、しかも、神さまと永遠に生きる」っていうことがはっきりしているじゃない? 私、今回この本読んで静かな衝撃を受けていたんだけど、私たちは「生きて死んで生きる」よねってことを、こうやって同じ確かな希望を持つクリスチャン同士で確認しあえる会話ができてよかった。そういう対話ができる機会は大切だなと。
A:うんうん。著者の友人を見送る最後の章で診療所の院長さんが「(私たちは)患者さんが主人公の劇の観客ではなく、一緒に舞台に上がりたい、みんなで賑やかで楽しいお芝居をするんです」とおっしゃってました。「生きて死んでまた生きる」って視点で考えたら、「また生きる」時のカーテンコールはさらに賑やかで喜ばしい瞬間になるのかもね。
グレートリー詩子
廣橋麻子