積極的に新しい教会あるいは会衆を開拓し続けること、それは以下の目的のためには最も効果的な方法です。
都市にある「キリストのからだ」の成長がますます見られるようになる。
都市にある既存の教会が協力し、継続した刷新とリバイバルが経験できるようになる。
改革運動、アウトリーチプログラム、パラチャーチ宣教、成長するメガチャーチ、信徒コンサルティング、教会再生プロセスなど、他のどんなものも、ダイナミックで大規模な教会開拓ほどには一貫した影響を与えることができません。まさかと思われるかもしれませんが、これについて少しでも調べたことのある人にしてみたら議論にすらならないことです。
教会開拓についての議論には一般的に以下のような反応が見られます。
この地域にはすでにたくさんの教会があるし、新しく引っ越してきた人たちが入れるスペースはまだ十分にある。新しい教会を開拓する前にまずはその教会が満員になるまで待ったほうがいい。
この地域の教会はどこも昔は人でいっぱいだった。教会に通う人は年々少なくなっている。この上さらに新しい教会ができたりしたら、すでに弱小化している教会から人が移動することになって、誰にとっても不利益だ。
まず困っている教会から助けたらどうだろう。新しい教会は、弱っている既存の教会を助けることはできない。教会を開拓するより、既存の教会を改善する必要がある。
以上の反応は一般的には妥当なものでしょう。しかしいくつか間違った前提に立っています。その間違いは以下のような質問をすることで明確になります。「なぜ教会開拓はそれほど重要なのか?」
教会開拓をする理由 「聖書に示されていることに忠実でありたい」
⒈ イエス・キリストの主な命令が教会を開拓することだった
そもそも新約聖書で福音伝道のために特に挑戦としてうながされているのは、教会を開拓することでした。ただ信仰を分かち合うだけではありません。大宣教命令(マタイ28:18-24)には「弟子をつくる」だけでなく「バプテスマを授ける」ことも含まれています。使徒の働きなどでも、洗礼は、アカウンタビリティーと境界線をもつ礼拝共同体の一部になることとして明確に示されています(使徒2:41-47参照)。地域でクリスチャンが増えているかどうかを本当に知りたければ、教会が増えているかどうかを確認することが唯一の方法です。
なぜだと思いますか? いわゆる伝統的な伝道方法は、キリストに従う「決断」に焦点を当てています。しかしそういった決断はいつしか消えてなくなり、変えられた人生として実らないことが多いのです。多くの場合、決断は本当の回心というより、神を求める旅の始まりと言ったほうがいいのです(もちろん確実に「新しく生まれ変わった」瞬間にされる決断もありますが、これは人によって異なります)。脈々と今も礼拝や牧会が続けてられているという文脈で福音に触れた人が、最終的には生き生きとした救いに至る信仰の確信を得られます。著名な宣教学者C・ピーター・ワグナーに言わせると「新しい教会を開拓するのは御国のもとで知られている最も効果的な伝道方法」なのです。
⒉ パウロの戦略の全体像は都市に教会を開拓することだった
歴史上最も偉大な宣教師だったパウロの宣教戦略は、単純に二つの目的から成り立っていました。第一に地域で最大の都市に赴き(使徒16:9、12参照)、第二にそれぞれの都市に教会を開拓しました(テトス1:5「町ごとに長老を任命する」参照)。それが終わるとパウロはそれぞれの地域で「キリストの福音をくまなく伝え」「この地方に私が働くべき場所はありません」と言うことができました。(ローマ15:19、23参照)つまりパウロは以下の二つの前提に動かされていました。
a) ある国に最も永続的な影響を与えるにはその主要都市を通してであり
b) そしてその都市に影響を与えられるのは、教会を開拓することによる
ある都市で以上の目的が達成されると、パウロは次の都市に移動しました。必要であればそれ以外のものは後からついてくるとわかっていたからです。
反応
「でも」と反論したい人も多いでしょう。「それは初代教会の時代で、現代のこの国(少なくとも北米)は教会があふれている。なぜ教会開拓が今、それほど重要なんですか?」と。
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ティモシー・ケラーの「なぜ今、教会開拓が重要なのか」という問いに対する回答は「パート2」に続く。