日本はクリスチャン人口がわずかで、クリスチャンとして成長を阻むものも多く、教会や牧師の数も減少していると言われています。そこに住む私たちはこの状況を以下のように二つの視点から見ることができます。一つは悲観的に見て落ち込んでしまう。もう一つは変えられた者としてもう一歩前に進み、あえてリスクを犯してでも変化を促すエージェントになる時期と前向きにとらえる見方です。
2018年に私と家族、開拓チームで教会開拓を始めた時、それは大きな一歩でした。 正直に言うと不安でいっぱいでした。でも同時にスリルもありました。 これまで経験したことのないような多くの責任を負わなければならないのに、妻は4人目を妊娠中でした。ゼロからの出発に不安で押しつぶされそうでした。でも周辺地域やコミュニティー、都市、そして大阪近辺に対する神の御心を確信していたので、わくわくする気持ちもありました。決して簡単ではない教会開拓だけれど、神にとっては不可能なことはないと感じていたからです。
私たちが大事にしている価値観に、「教会開拓は単独で行うことはできないし、できると考えるべきではない」という考えがあります。 イエス・キリストのために、大阪という都市に影響を本当に与えたいなら、私たちの教会だけでなく他にも大小の教会や教団、そしてさまざまな資源をもっている宣教団体が、それこそいくつも必要です。そういうグループが協力し合うために私たちはそれぞれの違いを認め、何が正しいかに焦点を当てる必要があります。 最も重要なこと、それはお互いに支え合うこと、協力すること、日本の教会のあるべき姿を目指していくことです。 だとしたら今まで協力関係になかった教会や指導者が集まって協力するとはどんなことかを示す必要があります。もちろん簡単ではありません。だから今まで協力してこれなかったとも言えます。
そんな中で私が都市カタリストというアイディアについて聞いたとき、誰かがやってくれたらという気持ちで胸がいっぱいになりました。そうしたら喜んでサポートしたいと思いました。でも、実際に私自身がその役割を打診された時、真っ先に感じたのは不安でした。「本当に自分にそんなことができるんだろうか?」 「自分のことをカタリストとして信頼してくれる人なんているだろうか?」 「失敗したらどうしよう?」 「人々を結びつける影響力なんて自分にあるのだろうか?」という思いが表面に出てきました。でも実はそれは私についてではなく、イエスについて問われる条件だということを思い出しました。神様は何かを実現させるのに最も可能性が低いと思われる人たちをあえて選びました。そして彼らを通してその計画を実現させました。だから功績はその人たちよりも神様にあると讃えられることはよくあることです。
実を言うと、私はあることについては自信満々なのにそれ以外ことについてはこの上なく不適格または不十分だと感じることがあります。カタリストについても私にこれほどの期待を寄せてくれる人がいるなんて信じられませんでした。大阪という都市圏のカタリストにならないかという打診に「はい」と答える前に、私には一つ学ばなければいけないことがありました。つまり人々は私自身には見えない何かを私の中に見ているのかもしれない、そして神様は、それを通して私を成長させる、与えられた賜物を生かして何かを実現させるために背中を押すのだということを。
ですから教会開拓を始めた時に感じたような恐怖と興奮の両方を、私はシティーカタリストになる上でも同じように感じています。何よりも私がまず、さまざまな牧師やリーダーと知り合い、集まってお互いに信頼関係と豊かな友情を築きたいと思っています。
今は毎月第2木曜日に近くのショッピングモールのミスタードーナツに集まり、一緒にコーヒータイムを楽しんでいます。大阪市内でも同様の交流会を開催できるよう準備中です。私たちの価値観や思いを共有できるような人たちと知り合い、もっと話を聞いて関係を深める時間を過ごしたいと思っています。 私と、すでに集まっている他の牧師や宣教師たち、そして将来集まる人々のために、そしてこの集まりが大阪で福音中心の教会開拓が前進するきっかけの一つとなるように祈ってください。
著者:ジャスティン・ルセロ →プロフィール