私の人生 (3)

 前回に続いて東京センターチャーチ開拓のお証しです

 神学校2年生の頃から卒業後のことを、夫婦で祈り始めました。私は自分のルーツもあり、ビジネスマン伝道をしたいという強い思いを持っていましたが、妻はファミリーへの重荷があり、なかなか意見が一致しませんでした。そんな中、神学校3年生の春、知り合いの中国宣教師から、神学校卒業後は後任牧師として上海に来ることを祈ってほしいとのお話を頂き、2016年夏、妻と訪中します。礼拝説教の機会を頂き、そのあとも教会員の方々と良いお交わりが持てました。が、「住み慣れた上海に戻る」は「出ていく」とは違うと示され、その思いが日増しに強まりました。それは、自分はもっと新たな場に遣わされようとしている、主は別のご計画をもっておられるはずとの思いでした。祈った末それが確信となり、2016年神戸伝道会議の席でそのことをお伝えし、上海の件はお断りをしました。するとその翌日、伝道会議の最終日「教会開拓」分科会で、グレースシティーチャーチ東京の福田真理師と同じグループとなり、ムーブメントミーティングにお誘いいただきます。直後の10月中旬、月島のその会場に向かう道すがらが、地下鉄を一つ手前の新富町で下車してしまい、そのため会議には遅刻をするのですが、佃大橋を歩いて渡るその時、橋の上からベイエリアのタワーマンション群と小学校の看板を目の当たりにするのです。それが都心の人口増の現状を肉眼で見る初めての機会でした。「あ、ここには人が住んでいるんだ。都心はビジネスだけじゃないんだ」妻が驚きの声を上げながら、スマホで写真をとりまくっていたのを覚えています。その後、人口7万人のこのエリアに福音的な教会がほとんどないこともわかり、ビジネスマンとファミリーの両方がターゲットとなるこのエリアこそ、神のみこころの開拓場所であるとの確信を、夫婦そろって頂くことになります。


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 その後、都心におけるビジネスマンへの伝道の思いを浦和教会の坂野慧吉先生にご相談したところ、福音自由でもシンクタンクという形で都心開拓については長く祈って来ていることを教えられ、2017年4月初めてその会議に参加しました。そこでは、これまでの郊外型教会開拓の固定概念にとらわれることなく、大切なことは守りつつも都市文化に焦点を合わせて考えるべきとの意見が熱く交わされており、新たなムーブメントの予感に心を燃やされました。2018年3月に神学校卒業、同年5月に東京都心ミニストリーが設立されると、私は福音自由の国内宣教師候補に任命頂きます。

 

 当ミニストリーの伝道対象は「都心で働くビジネスパーソン」と、「都市に住むニューファミリー」です。自分自身の30年来の仕事人生を振り返ると、残念ながら聖日とウイークデーの使い分けをしてきました。もちろん大切なことは家族で祈ってきましたし、みことばによって窮地を乗り越えた経験は何度もありました。が、それはあくまで緊急対応であって、通常の私のスタンスは「社会の常識」にどっぷりつかっていたということです。日本は同調圧力の強い社会ですが、クリスチャンはそこで信仰を公言し、職場においても「神を神とする」必要がある。その戦いは半端ではないゆえに、私はそれに寄り添いたいのです。その時、その人は自分のポジション、収入、他人の評価という「偶像」から解き放たれるだけでなく、ポジション、人脈、ノウハウなど、神からお預かりしている賜物を神のために使う、真の被造物管理者に変えて頂けます。サンデークリスチャンは無力ですが、ウイークデーも主に明け渡し、主とともに歩むなら、それが職場を変え、家庭を変え、日本を変え、世界を変える力となる。そして都心の教会がその発信源となればと願います。

 またクリスチャンビジネスパーソンは、家に帰ればクリスチャンペアレントです。彼らが、聖日のみならずウイークデーもキリストとともにあるなら、その「本気度」は家族に伝わり、ことばでなく、親たちの背中が、キリストに従う人生の恵みを子供たちに語り始めるにちがいありません。したがい、職場でもキリストとともに働く両親を励まし、そんな霊的大黒柱を持つクリスチャンファミリーに寄り添うことこそが、この教会の2大指針です。

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著者 下村明矢

Akiya Shimomura

東京センターチャーチ牧師。1983年大学卒業後、伊藤忠商事に入社、得意の中国語を活かし、北京・上海合計14年間駐在。2011年JTJ卒業後、東京御茶ノ水で、ビジネスマン向け伝道集会を主宰、2014年聖契神学校入学。2019年4月福音自由教会国内宣教師(牧師)任命、2020年より現職。