私たち夫婦を育てて頂いた浦和福音自由教会は、伝統的な教会で、説教は礼拝堂で聞くものであり、それをテープで聞いたり、遠隔地でネットを通して聞いたりするのは、病気などで致し方ない場合を除いてはあり得ないこととしてきました。説教音声は、ホームページには上がっていますが、それは教会員であってもパスワードがなければ開くことができず、そのパスワードは特別な事情がある人にだけ伝えられます。つまり説教が聞きたければ礼拝に出なさいということを、教会の方針としてはっきり伝えて来ました。これが教会であり、礼拝だと、私たちも信じて来ました。しかし新型コロナという「黒船」の到来によって、一夜にしてそんなことは言っておれない時代が訪れ、遠隔礼拝にむけての「開国」を余儀なくされたわけです。説教をしながら聴衆のレスポンスをつかむというスタイルの説教者も、ネットでは十分には行えず、一方的な語りで終わらざるをえません。これは大変疲れることだと思います。また、教勢(礼拝出席者数)をどう測るのかも未確定です。一方で、これまで遠距離で参加できなかった方や、信徒の家族が参加できるようになったというメリットも伝え聞いています。良いところ、悪いところ両方ありですが、時代はすでに動いている、そしてこれらはすべて神のご計画なのだということ。古いタイプの私たちは(私自身、今年還暦を迎えましたので、そう分類せざるを得ないと思いますが)、この新しい時代に対する抵抗感を減らし、ネット礼拝なんて邪道だという固定観念を振り払い、若い世代とコーワークしながらこの時代ゆえのメリットを追求していきたいと思います。その時の軸になるのが、福音の総合的理解です。十字架と復活という福音のエッセンスと、それ以外の伝統を分けるということ。私たちキリスト教会の作り上げてきた「伝統」も大切ですし、それを簡単に切り捨てていいとは考えませんが、絶対に変えられないことではないということ。ティム・ケラー師は、「センターチャーチ」という著書の中で、center churchの「center」という言葉の持つ意味を広範囲に紹介していますが、その一つが伝統と革新のセンター、中間に立つという意味です。いまこそ、本当の意味で、伝統に縛られず、今の時代の東京に求められる、東京センターチャーチとしての新たな立ち位置を追求していきたいと思います。
コロナ禍ゆえのうれしい出来事もいくつかご紹介して終わります。
新型コロナが一段落したということで7月から私たちの、銀座ブロッサムでの礼拝も再開しました。そこに現れたのがN姉でした。彼女は、日本で受洗後、仕事を中断してオーストラリアにワーキングホリデーで渡ったが、現地でやっていたアルバイト先がコロナで閉店となり、経済的に難しくなって帰国を余儀なくされたと話してくれました。彼女はもともと看護師でしたから、日本に帰国後、看護師としての仕事を再開しました。そして教会を捜し始めたときに、たまたま我が家の三女Fが、コロナ明けにN姉と同じシェアハウスに引っ越し、出会った当日「わたしのお父さん牧師をやっているの」と自己紹介したらしく、「じゃあ10 churches 10 yearsのプロモーションビデオに出ていた下村さんって、ひょっとしてFちゃんのおとうさん?」ということになり、TCCにつながってくれました。神の不思議な導きに感謝します。現在N姉は、TCCの会員になるための学びを始めてくれています。
もうひとりの新来会者は、中国人のWさんです。彼は6年前に来日し、現在都内で働いていますが、この春コロナ禍に遭遇し、会社は彼に、感染防止のためにホテルの一室に泊まって、そこにこもってリモートワークをするように要求したとのこと。そんな中で人生に対する不安を感じ、その時、学生時代中国で出会った宣教師のMatt(今も在中国)に助けを求め、TCCを紹介されたという経緯でした。私とMattとの関係はと言うと、半年前、地元月島のもんじゃ通りで、聖契神学校で一緒だった倉智さんとばったり出会い、その横にいたのが長身のMattでした。Mattは中国系米国人なので彼とは中国語で意気投合し、私のことをよく覚えていてくれました。Mattは長年中国で宣教師の働きをしており、6年前天津大学の英語講師をしていた時、学生だったWさんを家に招いて食事をしたり、聖書の話をしたりと、良い関係を築いてくれていました。Wさんは現在毎週TCCの礼拝に出席してくれていますし、今週からはマンツーマンの聖書の学びをネットで始める予定です。彼もコロナゆえにイエス様に引き寄せられたもう一つのたましいです。
先ほどの寺子屋も8月から再開しました。すると、これまで閑散としていた教室に、多くの新一年生の見学者が現われ、今月は大忙しでした。6月まで小学校がコロナで休校だったため、親御さんたちは勉強の遅れが気になっているのです。また、同じクラブの他のスポーツが種目によっては再開できておらず、その分クラスターのリスクがまだ低い文系教室に流れて来ているのではと想像しています。先週の寺子屋でも授業の合間に聖書の話をしましたが、生まれて初めて聖書のお話を聞く子達がそろって小さな手を組んで、こうべを垂れて、声を合わせて「イエス様のお名前によってお祈りします」と言うのを見て、涙が流れました。ああ、自分たちはこのために月島に来たんだと。そして、それを教室の外で聞いていた見学の子の親御さんが、その直後に入会を決めてくれたことも感謝でした。
エズラ1:1「主の言葉を実現するために主はペルシアの王クロスの霊を奮い立たせた」のみことばから、主のみこころは必ずなるという確信を頂きました。主は、ご自分のみこころを実現させるためなら異邦人の王の心をも奮い立たせ、またコロナをも用いられるお方です。主の御心なら、たとえ人の目には困難が山積するように見えても、そのすべてを乗り越えさせてくださるとの確信を日々新たにしています。この主のリーダーシップに今後とも忠実にお従い出来ますよう、お祈りをよろしくお願いします。
著者 下村明矢
Akiya Shimomura
東京センターチャーチ牧師。1983年大学卒業後、伊藤忠商事に入社、得意の中国語を活かし、北京・上海合計14年間駐在。2011年JTJ卒業後、東京御茶ノ水で、ビジネスマン向け伝道集会を主宰、2014年聖契神学校入学。2019年4月福音自由教会国内宣教師(牧師)任命、2020年より現職。