日本の児童虐待とクリスチャンの働き

『おとうさんからぼう力をうけて、まえに、一時ほごされたことがあります。いまも、おとうさんからぼう力をうけています。でも、一時ほごにいくのはいやです。おとなは信じられません。おとうさんは私に「お前なんか死ねばいい」と言います。はじめはとてもつらかったです。でもいまは、なれてきて何も思いません。ただ思うのは、死にたいです』

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私はカウンセラーとして、子ども・若者たちと関わっています。こういった手書きの相談を受け取ることは、一度や二度ではありません。ひらがなと習ったばかりの漢字で書きつづられ、所々に消しゴムで消し書き直した跡があります。消しゴムで消された文字をよく見てみると、「いつもひとりで泣いています」とあります。この子どもは一体どのような思いで、この言葉を消したのでしょう。

日本での児童虐待通報数は、年々増加しています。ひどい虐待を受けた子どもたちは、各都道府県の一時保護施設に入所します。しかし、東京、名古屋などの大都市では、一時保護施設の受入定員数が、100%を超えています(H30年4月時点)。虐待を受けた子どもたちの里親等の委託率は20%ほど。アメリカの里親等の委託率77%(2010年時)と比較すると、日本では虐待を受けた子どもたちの多くが、家庭環境とは異なる場所で、生活を送ることになります。日本政府は、里親家庭や養子縁組家庭を支援し、里親等の委託率を上げる動きに取り組んでますが、虐待を受ける子どもたちの増加に、なかなか追いつくことができません。各自治体の児相相談所をはじめ、地域のソーシャルワーカーたちは、増え続ける虐待通報に対応すべく、過酷な業務に追われています。

特に2020年2~5月は、新型コロナ感染症防止に伴う学校休校がありました。子どもたちが家庭内にこもる時間が長くなったこと、コロナ禍でのストレスが影響し、児童虐待の通報数が例年より大きく増加しました。閉ざされた家庭の中で、子どもたちだけでなく、親たちもまた、悩める思いを抱えながらもがいていたのではないでしょうか。こうした現実に胸を痛め、祈りに導かれるクリスチャンの方々も多くいることでしょう。

『障がいを持っています。両親は私のことを「大げさにしている」「ウソをついている」と、わたしのいうことを信じてくれません。医者からの薬を飲んでいます。行動療法もやりました。カウンセリングにも行きました。でも全然よくならないんです。希望はありません。生きていたくないです。希望なんて持つことは出来ません』

10代の学生から、ソーシャルネットワークサービス(SNS)を通して寄せられた相談です。SNS相談では、お互いに顔も名前も明かしません。顔と顔を合わせないカウンセリングですが、日本の10代の子ども・若者にとって、匿名だからこそ、誰にも話せなかった悩みを、打ち明けやすいのかもしれません。不安、葛藤、失望と期待。誰にも言えない心のうちを、手のひらにある携帯電話から、救いを求めて相談に来るのです。

この学生に必要なものは何でしょうか。適応する薬や治療を考えてくれる医者でしょうか。自分に寄り添ってくれる親でしょうか。ストレスの少ない環境でしょうか。これらのことは、回復のための大切な要素であり、心の疲れた子どもたちにとって必要なことでもあります。

しかし、一番必要なものは、永続的な希望です。いつか廃れるものでなく、移り変わるものでもありません。必要なのは、崩れることのない希望、完全な癒しと正義のある場所です。それは、ただ1人のお方のところにあるのです。

私が関わっているカウンセリングでは、相談に来た若者たちに、イエス・キリストの希望を伝えることが許されていません。10代の子ども・若者たちの痛みに寄り添い、話を1つずつ聞き、必要な場合に地域の児童相談所につなぐこと。これが、社会的に私に与えられている仕事です。しかし、霊的に召された者として与えられている仕事は、悩んでいる日本の子ども・若者たちのために祈ること、そして、本当の希望を伝えることです。神様に召された者でありながら、社会的な規則を理由に、伝えるべき福音を伝えられないという葛藤を感じています。黙示録12章10~12節で、私の葛藤に対する、神様からのチャレンジと勝利の宣言を見ることができます。

“私は、

大きな声が天でこう言うのを聞いた。

「今や、私たちの神の救いと力と王国と、

神のキリストの権威が現れた。

私たちの兄弟たちの告発者、

昼も夜も私たちの神の御前で訴える者が、

投げ落とされたからである。

兄弟たちは、子羊の血と、

自分たちの証しのことばのゆえに

竜に打ち勝った。

彼らは死に至るまでも

自分のいのちを惜しまなかった。

それゆえ、天とそこに住む者たちよ、喜べ。

しかし、地と海はわざわいだ。

悪魔が自分の時が短いことを知って激しく憤り、

おまえたちのところへ下ったからだ。」“

真実の希望を求めている人に、真実の希望を伝えること、そこには大きなチャレンジがあります。どの場所であっても、どの環境であっても、私たちクリスチャンには、このチャレンジと召しが与えられています。イエス様の血は、世の悪と罪を打ち倒し、どんなそしりも虐げも、寄せつけることができません。子羊の血には、それほどの権威があるのです。イエス様の血の権威、そしてイエス様にある私たちの救いの証によって、悪魔に勝利しました。キリストとキリストにある者全ては、虐待から勝利したのです。涙はぬぐい去られ、嘘は終わります。イエス・キリストにあってすでに勝利した。これが大きな希望です。

日本の子どもたちに真実の希望を与える場所として、日本の教会が大胆に開かれていくことを祈っています。


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参考資料:

  1. 厚生労働省 令和2年2月19日子ども家庭福祉に関し専門的な知識・技術を必要とする支援を行う者の資格の在り方その他資質の向上策に関するワーキンググループ(第2回)

  2. 令和2年7月29日子ども家庭福祉に関し専門的な知識・技術を必要とする支援を行う者の資格の在り方その他資質の向上策に関するワーキンググループ(第4回)資料4

  3. 家庭外ケア児童数及び里親委託率等の国際比較研究」主任研究者 開原久代(東京成徳大学子ども学部)(平成23年度厚生労働科学研究「社会的養護における児童の特性別標準的ケアパッケージ(被虐待児を養育する里親家庭の民間の治療支援機関の研究)

 

著者

〜ある牧師の妻の視点から〜