10年前、それまで仕えていたカリスマ教会から追い出され、ミニストリーへの自信を失い、挫折し、自らの召命、アイデンティティにさえ疑問を持ち、苦しんでいた私は、「クリスチャンとして本当に聖書に基づいたアイデンティティを持って生きるとはどういうことか」「キリストと福音に本当に根ざした健全な教会、ミニストリー、教会リーダーシップとは何か」と考えるようになりました。自分自身のキリスト教的背景や神学への信頼すら失っていた私は、自暴自棄になって様々な牧師の説教をネットで聴いていました。その中の一人が、ニューヨークのリディーマー長老教会を牧会するティモシー・ケラー牧師でした。彼の説教は何百回と聴きましたが、一番衝撃を受けたメッセージを今でも覚えています。それは「愛のための闘い」というヤコブの生涯についての説教でした。私が洗礼を受けた時、友人がヤコブについての聖書の箇所を贈ってくれたこともあり、私にとって特別な思い入れがある存在でした。
双子の兄エサウの長子の特権と祝福を得るために兄になりすました結果、自分の人生を破壊していくことになったヤコブ。そういう行動を私は「コスプレ」ととらえました。憧れの人物になりきることで自分がその祝福を受け、その人物になったかのような感覚、ある意味パワー、「特権」を手に入れることを想像するのです。そのことに気づいたとき、私は「これこそが自分の姿だ」と感じました。キリストにある自分のアイデンティティを見失っていたのは私であり、自分の人生において認められる特権を得るために、他者に合わせる生き方をミニストリーにおいてもしていたのは他ならぬ私だったのです。
しかし、ティム・ケラー牧師のメッセージは、「だから自分のアイデンティティを神に求めなさい」で終わりませんでした。ヤコブの人物や物語そのものがイエスこそ本当のヤコブであることを指し示していると語り始めたのです。
イエスが神ご自身であるにもかかわらず、また全人類の長子であり、すべての権威を持っているにもかかわらず、人となり、人間の形を取られたこと。イエスは、ヤコブのように祝福を奪って自分のものにするためではなく、逆に私たち兄弟姉妹に、祝福、神の子となる権利、その義の衣、特権を与えるために人となられたこと。イエスはある意味、究極の 「コスプレ」を完成させた方なのだと実感しました。私たちの心のあこがれである、他の偶像をすべて捨てて、イエスこそが真の祝福と愛であることを実感させるメッセージでした。
このような人々の心や行動に変化をもたらす説教を聞いたとき、私は自分の働きや説教がいかにイエスの福音に欠けていたかを思い知らされ、愕然としました。私がしてきたことは、自己啓発的、律法主義的なもので、日本のような道徳的文化が強い国では、むしろ状況をさらに悪化させるものだったことに気づきました。また、「神はあなたをそのまま愛している」というような、安っぽく不完全な恵みと愛の概念で、極端な逆を行くメッセージも、私のミニストリーにあったことに気づかされました。
私は、ティム牧師がよく強調するように、いわゆる福音の「第三の道」を保つことの意味を学び始めました。福音がクリスチャン生活のABCではなく、A to Zであるという先生の強調点をさらに探求することになりました。福音をクリスチャン生活の最初から最後まで、特に日本の道徳的な心や文化的な偶像に対処するための中核にある動力、源として適用するとはどういうことか知りたくなりました。また、キリストに望みを託して自分の欠点を見ることで、自分の文化の破れを認め、良いものを客観的に見ることができるようになり、自分の文化を理解する目が養われました。そして、日本人が自分の文化で福音を本当に理解できるように、福音を伝える方法を考え、努力する情熱が自然に湧いてきました。彼の励ましと福音における模範がなければ、私はこのようなビジョンと情熱を持って東京に教会を開拓することはできなかったでしょう。
ある意味、私はティム・ケラー牧師と彼の教えに霊的に大いに助けられた者です。彼は福音を自分の心に深く適用する必要性を私に最初に教えてくれ、私が福音に戻るきっかけとなったからです。でも彼の教えや働きそのもので私が本当に変えられたと言うよりも、イエスを見るように、イエスをもっと礼拝するように、愛するようにと導かれたのです。私を本当に変えることができるのはイエス・キリストだからです。そして、これこそが、すべての偉大なクリスチャン・リーダーや牧師の主な責任であり、人々をイエス・キリストに、彼だけに導くことであると私は信じています。ケラー牧師は、そのような模範を日本のリーダーに示した偉大な牧師の一人だと思うのです。
この「福音中心主義」のDNAは、私や多くの牧師が、日本での教会宣教や福音宣教のあり方を見直すきっかけとなっただけでなく、新しい福音宣教のムーブメントを始めたものでもあります。そして、次世代の日本の牧師たちが、自分たちの文化に福音を文脈化する責任を負うことで、より多くの日本の魂が神のもとに帰っていくだろうと私は信じています。
私たち次世代の牧師やリーダーのために素晴らしい模範を示してくださったティム牧師、ありがとう。福音が日本人を変えたという素晴らしいストーリーを、天国であなたと共有できることを楽しみにしています。
著者:木村竜太