教会開拓者のトレーニングを専門とするコーチである私は、新しく教会開拓を始めようとする人々から、以下のような似たようなコメントをよく聞くことがあります。
「教会開拓の壁にぶつかっているような感じがします」
「教会開拓を始めた時はあんなにビジョンに満ちていたのに、今はなんだか方向を見失っています。なぜこうなったのでしょうか」
「期待したような結果も出ず、疲れ切っています。このまま突き進む力も湧いてきません。どうしたらいいでしょうか」
既存の教会で成功を経験したリーダーたちは、教会開拓という嵐の中で混乱し、幻滅していることにふと気づく時があるでしょう。結果、多くの教会開拓は成熟するどころか、5年以内に消滅してしまうのです。教会開拓におけるこのような失敗率は教会開拓に携わる団体なら注目すべき大きな課題です。
こういった課題の原因は何でしょうか。教会開拓で避けられない困難を、リーダーはどのように乗り越えることができるのでしょうか。本稿ですべてを網羅するには複雑すぎる問題ですが、教会開拓を考えた時点でリーダーがしなければならない内部の調整というものに注意を向けることから始めるといいでしょう。結局のところ、牧師と教会開拓者には大きな違いがあります。私はこの違いが、開拓者が集中し効果的であり続けるためにどんな期待を持てばいいかを決める鍵になると考えています。
ビジネス・コンサルタントのマイケル・ガーバーは、ベストセラーとなった著書『The E Myth』の中で私たちにとって役立つ示唆を与えています。ここで言う "E "とは “entrepreneur(起業家)”のことで、教会開拓は往々にして起業家的な試みであるため、ガーバーの著作は教会開拓者が直面する課題を理解する上で助けになるのです。新規事業を立ち上げることの危険性について述べる中で、ガーバーは起業家の「致命的な思い込み」と呼ぶ言葉を用いています。この 「致命的な思い込み」を私たちの目的に適用するなら「教会開拓者は、自分が牧会を理解していれば、牧会を行う教会をどう始めたらいいかを理解していると考えてしまう」と言い換えることができるでしょう。
もちろん、ガーバーがそれを「致命的な思い込み」と呼ぶのは、それが間違った信念に基づいているからです。牧会することと、牧会する教会を立ち上げることは、かなり異なる能力を必要とします! 教会開拓者のトレーニングの際、私たちはよくこのことに言及しますが、新しい教会を立ち上げようとする現場に出るまで、どうもリーダーにはこの点についての理解が十分に浸透していないようです。そういったリーダーたちが、どこに注意を向ければいいのか、それを理解できるようになるために、教会開拓者と牧会者の違いをいくつか明確にし、また踏むべきステップもそれに合わせて紹介しましょう。つまり教会開拓者はある程度一時的に牧会的ミニストリーへの比重を軽くしています。それは近い将来、もっと大きな規模で牧会的ミニストリーを提供する組織(新しい教会)を立ち上げるためなのです。つまり、以前は存在しなかった組織を軌道にのせるために必要な時間とエネルギーを確保しなければならず、そのためには牧会への時間とエネルギーは制限されなければならないのです。
ですからその時期、教会開拓者はこれまでとは異なるスキルや能力に焦点を当てなければなりません。教会が様々な領域で機能できるよう、そのためのリーダーを特定し、訓練しなければなりません。この新しい教会開拓は、地域社会に適切に文脈化されて存在しているのだと認識されるように設立され維持されなければなりません。これは並大抵のことではないのです。
牧師と教会開拓者をもっと区別する必要がある理由もここです。すべての牧師が優れた教会開拓者になれる能力を持っているわけではないし、すべての教会開拓者が優れた牧師になるために必要なスキルを持ち合わせているとは限りません。
以下のリストは、教会開拓者と牧師の基本的な違いを示しています。他にも多くの特徴がありますが、これらは教会を開拓したいと願うすべての指導者が熟考する必要のある主な特徴だと思います。
牧師
教会を導くために他の人々を訓練する
養成者(トレーナー)を指導する
将来の伝道者を育成する
信仰の成熟のために聖書から説教する
困っている人々を助けるために教会を用いる余裕がある
地域社会で安定を維持する必要がある
家族は、確立された共同体との関わり方のレベルを選択することができる
開拓者
教会を開拓設立する
リーダーを養成する
将来の弟子に伝道する
ビジョンを明確にするために聖書から説教する
深いニーズに対応するには限界がある
新しい機会のためにリスクを厭わない
家族も教会開拓に深く関わることになる
まとめると、教会開拓者は教会で働くことよりも教会に注力することを優先しなければなりません。これは、牧師が教会で働く必要がなく、教会開拓者が人々を牧会する必要がないと言っているのではありません。むしろ、リーダーが教会開拓の課題に対応できるように調整しない限り、組織として教会がそういった要求に継続的に応えられるようになる前に、開拓教会は人々の要求によって追い詰められてしまうということを言いたいのです。
では、教会開拓者は何をすればいいのでしょうか? 私はまず教会を開拓するために自分たちが払わなければならない犠牲について家族に認識してもらうことを提案します。多くの場合、教会開拓期は自分たちのオフィスや建物を持たないので、リーダーシップ・ミーティングや祈祷会、その他あらゆる種類のミーティングが家族のリビングルームで行われることになります。最大の献身は配偶者に求められます。教会開拓者の配偶者は、そこまで関与する準備ができているでしょうか? 子供たちはどれくらいの来客があるか理解しているでしょうか? 今後数年間について家族が精神的、感情的に準備できているかどうかを確認するためには、話し合いと注意喚起が重要です。
次に、リーダーは現在どのような教会開拓の段階にあり、何が必要かを確認する必要があります。結果、教会開拓者はその段階に何が必要かを、まだ生まれたばかりの会衆に伝える勇気が与えられます。多くの教会開拓者は、人々がなぜ教会開拓に加わろうと思ったのか、背後にある暗黙の期待を過小評価しています。
教会開拓の魅力の一つは、一般信徒が牧師に直接接触できることです。そこには牧師と個人的な時間を持つことへの期待が伴います。しかし教会開拓者が伝えなければならないのは、もちろんある程度そのような個人的な牧会を提供することはできるものの、開拓者がすべきなのは、将来的にもっと多くの人々を牧会できるようになる教会の開拓自体に集中しなければならないということです。教会開拓には多くのことが要求され、もっと安定した環境で熟達した牧師が通常するような牧会と同等の牧会を与えることはできません。それを人々が直感的に理解するのを期待してはいけません。教会開拓者は、教会開拓を支援する人々が他者に奉仕するミニストリーに積極的に関わることによって、個人的な成長が起こるということを明確にしなければなりません。
これを念頭に置いて第三に挙げられるのは、教会開拓者が一緒に働く人を注意深く選ぶことです。教会が地域社会の期待を把握して必要な信頼を得るには、良いチームを築くことが不可欠です。リーダーシップの育成は、教会開拓において戦略的に最も集中するべき点の一つです。説教が重要である一方で、優れた説教だけでは教会を維持することはできません。実際、教会がリーダーの賜物に依存すればするほど、その影響力は限られてきます。指導者の賜物は必要不可欠ですが、教会開拓者が教会の成長を期待するのであれば、他の人々をできるだけ早く育成し、現場に送り出さなければなりません。教会開拓者は、教会開拓のミッションを前進させる準備ができている人々のチームが必要なのです。
そして最後に教会開拓の主な目的を会衆に示し続けるもう一つの方法があります。あなたを含めチーム全体で、コミュニティーに関わる未信者と定期的に会話し、関係を持つことです。これによって、これからまさに自分たちが始めようとしている教会の妨げになるかもしれない、教会開拓チームとしての文化的な偏見や習慣が明らかになります。興味深いことに多くの未信者は、そもそも教会が始められるという考えにさえ興味をそそられます。彼らに意見を求めることで、福音的な会話の道筋を作ることができ、同時に教会生活について彼らが理解できないことを質問できるようにします。人々の意見から豊かな識見が得られ、チームのメンバーは、既存の信者に働きかけるだけでなく、このような人々のために祈り、彼らに仕えるというチャレンジを受けることになります。
教会開拓は永遠に続く状態であってはなりません。
浮き沈みの激しい年月があるかもしれませんが、教会が成熟するにつれて、教会コミュニティーは常に開拓し続ける開拓者ではなく、前進するのを導く牧師を必要としていることがわかるようになるでしょう。その段階で、教会開拓者は成熟した教会の牧会者としての才能が生かされるように個人的に重点を移すか、あるいは新しい教会を開拓する決断をすることになります。いずれにせよ、教会開拓のリスクを重視していた姿勢は、さまざまなミニストリーがそれぞれ発展するにつれ、だんだんと安定への道を模索するようになります。
教会を開拓するのは簡単ではありません。そして多くのリーダーが、教会開拓者としてよりも牧師としてこの仕事に取り組んでいます。開拓した教会を今後長きに渡って若々しく活気のある教会でいてほしいと望むなら、開拓者と牧師、この2つの違いを理解することは必要不可欠なのです。