CTC DNA:文化に関わるとは?

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以下はリディーマー・シティ・トゥ・シティ(以下RCTC)がまとめた文書「福音中心の都市ミニストリー:CTC DNA」(Gospel-Centered City Ministry: The City to City DNA)の第八章から抜粋したものです。RCTCの共同創設者で前会長ティモシー・ケラーがRCTCの核となる価値観について詳しく述べています。


大都会で宣教する場合、文化との交流は重要です。しかしそれも聖書の知恵をもってなされなければなりません。たとえ母国に住んでいたとしても、私たちは異なるグループや世代に囲まれています。それは都市なら尚更です。文脈化と文化との交流について、City to City DNAではキリスト教と文化との関係は重要だと強調しています。文脈化と文化との交流は関連し重複していますが、文脈化は主に教会のメッセージやスタイルがその時代背景や場所によってどう築き上げられているかに注力します。一方、文化との交流は、教会の周りの社会との関係に注力します。市民としての生活の中で「塩と光」であるとはどんな意味があるのか? 「巡礼者」や「亡命者」とは? といったことについて考えます。 

多くの教会にとってこれより重要な現代の課題はありません。クリスチャンは教理については一致しているとしても(だんだんとそうではなくなってはいますが)、周りの文化にどう関わっていくべきかという点で分裂しています。教会と政治の関係はどうあるべきか? 教会は政治という分野に関わることすらすべきではないのか? 教会は周りの文化を変えようとしているのか、それとも一歩引いて、自然の流れに任せているのか? 

City to Cityの立場は、クリスチャンが周囲の文化の中で、誠心誠意を尽くすこと、また、強要したり、軽蔑したり、避けたりしないで、周りの文化に深く忠実に関わり、人々に仕える心を持つことを勧めています。そして、その全てにおいて、文化に迎合したり、福音の価値を妥協したりすることのないようにと。不可能に思えるでしょうが、神に従う者としてのユニークなアイデンティティと福音があれば可能です。つまり、「転覆して達成する」(敬意を持って批判する)という姿勢を採用することで、キリストを通して文化をくつがえし、かつその文化にある望みを達成するのです。

文化との交流にある危険

まず文化との交流にある根本的な危険性とはどういうものなのか知ることが大切です。問題の多くは、教会とその周囲の世界の間にあるバランスの悪い極端な関係から起こります。例えば、あるクリスチャンたちは文化をひどく堕落していると考え、それを正すための力を取り戻そうとします。イエスが示した仕える態度で社会を変えようとしません。しかし政治的な力で文化を変えようとすると、皮肉なことにこの世の中に迎合することになります。

文化に同化する危険もあります。このアプローチは文化をもっと肯定的に捉え、さらに大きな正義と誰でも受け入れる方向に前進します。そして教会がリベラルで革新的な社会の動きに参加することを望みます。このグループは自分たちが一般社会とは異なると信じていることが多いのですが、皮肉にも社会に同化し過ぎている危険があるのです。特に保守的というよりはリベラルな罠にはまってしまいます。

もう一つの危険は単純に文化から離れてしまうことです。このアプローチは強く密接な結びつきのあるコミュニティに身をひそめることで、クリスチャンは文化から汚染されないですむと信じます。しかしそれでは文化から学ぶことができず、文化からすでにどのくらい影響を与えられているかにも盲目になっていることが多々あります。文化に関わることを避ける道は、究極的に言って一つもないのです。

最後の危険は、文化を無視することです。社会から意図的に退却するのではなく、このアプローチでは地元の社会には問題がなく、刷新する必要はないと信じています。クリスチャンはキリスト教的世界観から働く必要があると考えません。ただ一生懸命巧みに働けば十分で、文化を分析する必要はないと信じています。自分たちの役目はただ教会を作り上げ、人々をイエスに導くことで、文化はそのままにしていればいいのだと考えます。文化から退却する危険と同じように、この姿勢は本来福音が魅了すべき人々の心を、代わりに文化がどのようにして捕らえてしまったのかについて気づきません。

文化に関わるとは

それではどのような方法で文化に関わることができるでしょうか。次に挙げることの多くはCity to City DNAの他の文書でも説明されています。また、ここで取り上げるよりはるかに詳しく説明される必要がある考えです。いずれにしても文化に関わるための方法を以下にいくつか挙げましょう。

  • キリスト教的高度な理論、又は社会的理論を開発する

ある文化に福音を語れるようになる(文脈化)前に、福音を念頭に置いてその文化を解釈する必要があります。クリスチャンの世界観、聖書のパターンや語り方についての深い知識を土台に、その文化のパターンや語り方にはどのような良い点、悪い点、あるいは無関心なことがあるかを分析しなければなりません。

  • 福音のメッセージと教会を文脈化する

私たちが文脈化する時、その文化にいる人たちに福音をできるだけ説得力のあるものとして聞いてもらうために、文化を受け入れ、かつ抵抗しなければなりません。これが多くの人々が共鳴する伝道と弁証論を通しての文化との交流です。

  • 信仰と仕事の統合

クリスチャンは支配的文化の経済内にしろそれ以外の代替経済内でも、勝利主義的ではなく独自のキリスト教世界観を持って働かなくてはなりません。共通善をもたらしたいという願いを原動力にして、一般恩恵への感謝を持つべきです。

  • 党派心のない政治への関わり

組織として教会は重要なポイントでのバランスを保たなければなりません。教会は、信者を地の「塩と光」となるよう訓練し、社会をさらに公平で誰もが住みやすい所にするために周囲の人々を愛します。だからこそ政治に介入するのです。しかし教会そのものが社会変化のために特定の政治的、文化的目標を掲げることがあってはならないのです。

  • 地元や国内で目立つ不平等を追跡する

これは律法的に傲慢な気持ちで取り組むのではありません。クリスチャンはできるだけ多くの党派を超えた同盟を追求しなければなりません。そのためには、世俗的、又はイデオロギー的な思想ではなく、聖書的な義という概念に導かれ、かつ仲間を排除せず、クリスチャンとしてのアイデンティティを公にする必要があります。

  • 公共の場で、又はプライベートで未信者と会話する

クリスチャンは他の宗教やイデオロギーのグループと話すための扉を開き、橋渡しをしなければなりません。私たちは礼儀正しく、へりくだって、忍耐強く、そして愛を持って話す見本でなければならないのです。

著者:ティモシー・ケラー 

RCTC(リディーマー・シティー・トゥー・シティー)の前会長、マンハッタンのリディーマー長老教会の創設者。リディーマー長老教会は1989年に妻キャシーと3人の若い息子によって開拓された。25年以上に渡り都市の若い世代、専門家やビジネスパーソンの多い会衆が集い、毎週5000人も集まる教会に成長した。