私は神奈川県で牧師をしています。2016年から、地域のコミュニティセンターやカフェなどを借りながら教会を開拓しています。今ちょうど5年が経ったところですが、これまで本当に多くの方々に支えられて来たことを実感しています。特にCTCJをはじめとし、福音中心のコミュニティでの交流には大いに励まされています。そういった励ましがなければ、早い段階で教会開拓を諦めていたかもしれません。
今回は、私が福音中心としたネットワークを通して、まさにその「福音中心」というコンセプトに出会い、どのように変えられたか、またそれが教会開拓にどのように影響しているかをシェアしたいと思います。
悔い改めと福音の再発見
『阿部さん!悔い改めましたか?』ある宣教師の先生が、そう言いながら笑顔で歩み寄ってきたことが今でも忘れられません。私が教会開拓のためのカンファレンスで、『福音に歩む』というトレーニングコースを初めて受けた時のことでした。
このセミナーに参加する前、私と妻の関係はあまり良いとは言えませんでした。私は教会開拓の準備で頭がいっぱい、妻はそんな私から愛を感じられない。私は妻を不信仰だと感じ、妻は私を愛がない夫と感じている・・・そのようなスレ違い状態だったのです。セミナー会場に向かう直前に喧嘩をし、会場に着くまでの2時間、無言で過ごしたことを今でも覚えています。
しかし、福音中心のセミナーを受け、まず私の心が変えられました。それは2人の関係を見直すきっかけになったのです。セミナーでは牧会経験豊かな講師が、ご自身の罪について赤裸々な告白をされていました。それは牧会を優先するあまり家族との関係が壊れていったという内容でした。その時、「今の自分とどこか似ている」と感じたのです。同時に、そのような罪を赦し、人を生かす福音の力を改めて感じ、私自身が深い悔い改めに導かれました。それは、胸をうち叩くような激しい悔い改めではなく、むしろ、手術が成功し、ベッドの上で脱力したまま、医師にケアを委ねる安堵感のようなものでした。突然、感情とは関係なく、涙が溢れてきました。緊張の糸が解れ、神様の愛に満たされていくのを感じたからでしょう。
セミナー後、私の悔い改めを予知していたかのように、あの宣教師の先生が私の元に駆け寄ってくださいました。『阿部さん!悔い改めましたか?さあ、お昼です。食い改めましょう!』(笑)この時から、私の中で福音による変化が始まりました。深い悔い改めから福音の意味を再発見したのです。
善い行いを悔い改める
この学びを通して、私は「教会開拓に夢中になっていること」を悔い改めさせられました。もちろん教会開拓は善いことです。しかし、教会開拓が目的化し、教会開拓の業績が自分のアイデンティと結びついた時から、教会開拓の偶像化が始まっていたのです。心の偶像は、神に受け入れられている喜びを奪い、神に愛された子であるというアイデンティティを壊して行きました。その代わり、目標達成と人からの評価によってアイデンティティを築くように私を仕向けていたのです。
それにより、妻への配慮も薄れていたのかもしれません。正確に言うと、配慮をしなかったのではなく、「教会開拓を成功させることで、妻も私も神中心の素晴らしい生活ができるようになる」といった具合に盲目的になっていたのです。
このような盲目な状態も、福音によって変えられていきました。セミナーの中で、ある講師が『たかが教会開拓。教会開拓で成功しようが失敗しようが、あなたが神に愛された子であることに変わりはないんですよ』と言われたのです。一番大切だと思っていた教会開拓を『たかが』と表現されたとき、心の偶像が顕にされました。同時に、無条件の神の愛を伝える自分が、条件付きで神の愛を測るという矛盾に陥っていたことに気づかされたのです。
この時、「善い行いを悔い改める」ということを学びました。「神のために」という目的意識が、自分の罪から目を背けさせ、罪人に向けられた神の深い愛からさえ遠ざけてしまうことを知ったのです。
悔い改めから始まる伝道
自分の罪深さを知り、それをも包み込む十字架の愛を知るとき、福音によって歩む生活が始まります。それは、悪い行いを悔い改めることだけでなく、(目的化した)善い行いをも悔い改めていくことを含みます。(今、この文章を書きながらも、様々な罪が思い浮かんできます。まるで心の棚卸しをしているかのようです。)
そして、自分自身が悔い改めるとき、そこから神の愛が伝わっていくのではないでしょうか。
教会開拓を始めてみて思うのは、教会に来られる方は、クリスチャン、ノンクリスチャンにかかわらず、安心して悔い改められる場所を求めておられるということです。特に、同調圧力が強い日本社会の中では、片意地はらずに、自分の弱さや愚かさを認めることができる場所が必要なのだと思います。ミニストリーの中で、社会の中で、家庭の中で、負いきれない重荷を抱えてしまっている人たちが「自分1人で背負わなくて良いんだ」と思える場所が必要なのです。
まだ多くはありませんが、ノンクリスチャンの方から『礼拝に参加するようになってから、自分自身の欲や愚かさを知り、きよくされているように思います。』『1人で抱えなくていいんだって思えるようになりました』といった反応を聞くときに、悔い改めによる心の刷新が始まっているなと感じます。
私もいつか『〇〇さん、悔い改めましたか?』と笑顔で言える牧師になりたいと思います。
最後に
教会開拓を始めようと意気込んでいた私を、福音中心のコミュニティに招いてくださった神様に、また、いつも正直な証をしてくださるネットワークの仲間に感謝します。この働きが聖霊の導きによってますます広まるように祈っています。
神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。神はこの聖霊を、私たちの救い主イエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。テトス3:5-6
著者:阿部 頼義
Yoriyoshi Abe
グレースガーデンチャーチ牧師。クリスチャンホームで育ち、大学卒業後、製薬会社勤務を経て渡米。Evangelical Theological Seminary, Pennsylvania で学ぶ(M.Div.) 。地元教会での牧会インターン、また東海岸にある日本人教会と連携し、ユースキャンプをリードする。帰国後、2016年より教会開拓を開始。その他、無牧教会支援、在留外国人支援などにも取り組む。家族は妻と娘2人。