「そんなところに偶像?それが…?」
その発見は私の大きな助けとなりました。
沖縄で開拓されたアメリカ人教会のヴィジョンにより、沖縄の牧会者夫妻に学びの恵みが与えられました。ある日、偶像を探る学びがもたれ、「力・管理・快適・承認」の中に潜む、気づかずに良いものと思って培ってしまう偶像と出会い、ドキッとしました。
私はノンクリスチャンホームの三人兄弟の長子として生まれ、父は私が5歳の時に倒れ、17歳の時には1級障がい者に。仕事も倒産が三回。私は気づくと「しっかり者のお姉ちゃん」、そして「自分で頑張る!自分は役に立つ!」が私のアイデンティティとなっていました。今思うと幼い時から着々と「承認」の中に価値を置き、偶像を培っていたのです。
そんな私を主はずっと導いてくださっていました。家のそばにはキリスト教会付属幼稚園。保育専門学校ではクリスチャンの先生との出会い。就職時に2つあった選択肢の両方がキリスト教施設。まさに「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と。キリスト教会付属保育園に就職した私は救われ、たくさん試し、練られながら献身に導かれました。27歳で神学校に入学。そこで出会った主人と結婚し、沖縄へ遣わされました。
厳しい環境の中で育った主人との結婚生活も「私なら大丈夫!」という自負がありましたが、すぐに崩れ去りました。次々と起こる牧会上の問題。障がいのある長女を始め3人の子育て。父の死後、難しい性格の母との同居。遠距離なら演じられた「良い娘」も同居したらズタボロ。主人ももがいていたようですが察するゆとりもなく、マイペースの主人にいろいろ要求されると「こっちだって大変なんだ!」と叫びたい思いを呑み込み応じるも、溢れ出る嫌悪感。呑み込めない時も多々。良妻賢母など木っ端みじんでした。「主に委ねて」と言いながら自力でもがく自分に気付かされたのは、福音の教理ではなく、福音が自分自身にどう息づいているのか考えさせられる学びでした。私は「神の栄冠」ではなく「人の承認」を得るために、人のためと自分に言い聞かせながら走り、疲れ果て、それが主の助けを遮る障害物、偶像だったと気づかされました。
学びによりまず主人が変わりました。そして、主は私にも「あなたは変わりたいのか?」と。育った環境や周りの人間を言い訳にせず「主であるわたしを信頼するのか?」と。本当の福音の恵みに気づかされ、体験しました。そして、パラカレオの学びでは自分の心の奥を探っていただき、偶像により自分自身で招いてしまいがちな苦しみからの脱出ツールを学びました。長年培ってきた偶像は簡単に消滅しませんが、ツールはいつも主との交わりの中で、私を脱出の道へと導いてくれます。主の深い愛に感謝します。
「神よ 私を探り 私の心を知ってください。 私を調べ 私の思い煩いを知ってください。私のうちに 傷のついた道があるかないかを見て 私をとこしえの道に導いてください。」(詩篇139:23-24)