闇から光へ

・罪の根

2015年11月9日の朝、妻が倒れた。

肌寒くても日差しの暖かさが、起こっている物事の異様さを浮彫にした。

杉並区井草にあるアパート。

間取り2DKのキッチンの床に、抜け殻のように横たわる妻の姿があった。

精神的なストレス、身体の疲労、育児の大変さ、経済的な困窮、内外からのプレッシャー、霊的いのちの渇き、様々な圧迫に打ちのめされてしまっていた。

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鬱。医者からはそのように診断された。

彼女は小学校の頃から、鬱的な感情を抱き、生きることに希望を失っていた。クリスチャンになってからもそれは消えることがなかった。

私たちの結婚は、周りの人たちにとっても二人にとってもミステリーだった。神様がこの二人を合わせたことにただただみんなが驚いた。それぐらい二人は違っていたので、お互いを理解することがとても難しかった。

元来、妻は頑張り屋だが、超がつくほどの面倒くさがり屋。

元来、私はのんびり、超がつくほど頑固でマイペース。

彼女は超がつくほどの面倒くさがり屋だから、効率よく仕事をするために頑張る。負のサイクルに入りやすい。ちょっとしたことで、「面倒くさいなぁ、何で生かされているのか分からない…」とため息をつく。

私はマイペースだから、彼女が出す信号に気がつかない。いわゆるKY。最近は少しは気がつくようになってきたと言われるが、彼女が倒れるまでは自分のペースに無理やり引っ張る方だった。思いやりに欠けていた。

低空飛行の彼女の状態を見て、その頃の私は「御霊に従えば、喜んで生きることができる!」と励ます。いや、実際は励ましているようなフレーズを用いて、心の中では“救われていたら喜びがあるのが当然やろ!”と裁きまくっていた。私は、“自分にはイエス様が共にいて下さる喜びがあるのに、彼女にはない”という何か見下したような態度を取っていたのだろう。それは私の中に喜びと苦みが同居するというような、とても不安定な状態だった。

妻は神学校の先輩であり、卒業後は母教会のスタッフとして働いていた。全く接点もなく、連絡先も知らなかったが、ある時、妻に神様からの導きがあり、牧師になりたてホヤホヤの私をサポートしたいとアプローチしてきたのが結婚のきっかけだった。私は彼女に牧会の働きを手伝ってくれることを期待し、彼女もそれを望んでいた。しかし、彼女はどんどんやる気を失っていった。

彼女のやる気がなくなる度に、私はオウムのように「御霊に従えば、喜んで生きることができる!」と繰り返した。私は牧会こそが自分の使命だと受け取っていたので、彼女を脇目に邁進しながら、これこそ主が喜んで下さる道なのだと、大きな勘違いをしていた。そんな私に、彼女の失望は増幅していった。「この人は一番近くにいる人を見ていない。見ようとしない。私も羊だからケアが必要なのに…」。

そして、神様のことを語る私を通して、神様への嫌悪感も増していった。彼女は私への理解に苦しみ、なかなか築き上げられない夫婦関係に苦しみ、とうとう私に発達障害のレッテルを貼った。神様にも私にも希望を持てなくなった彼女の魂は、生きることよりも倒れることを選んだ。「命を絶つ危険がある深刻な状態」だと医者からは言われた。

倒れた彼女に向かって「ただ生きていて欲しい」と叫んだ。同時に、「なぜ牧会のために奮闘しているのにこのようなことになるのか」と神様に訴えた。このような感情は、自分の行いを誇りたいという、おぞましいまでの偶像礼拝の姿であることを、後に知ることになる。つまり、自分はこれだけのことを神様の為に献げているのだから、祝福して下さるのが当然ではないか、というような具合に神様との取引をしていたのだ。


あれから、5年半の年月が経った。

妻のアップダウンの激しさはずいぶん落ち着いてきた。夫婦の間にはお互いを思いやる心が生まれてきた。少しずつだが、上昇気流に乗せていただきつつある。


・使命

神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。(ロマ11:29)

牧師としての使命は何だろう。福音を伝えること、御言葉を解き明かすこと、牧会、説教、聖餐式に弟子訓練。教会の計画を立てることや、マネジメント、他教会や教団との関わりや会議、雑用など、多岐に渡る。

与えられたポジションにおいて、主にお従いさせていただくことに集中していく。そこには労は多くとも、絶え間ない喜びが主との関係において沸き上がっている、はずだ。

だが、私の場合は違った。

神学校を卒業し、伝道師としての経験を経て、牧師としての歩みが始まる。朝起きたら講壇で膝を屈めて主に祈ることからスタート。御言葉を読んで瞑想し、教会と信徒一人一人のことを覚えて祈る。多くの方々のサポートの中、紆余曲折はあったとしても、主の恵みの内に教会が成長することだけに集中して奮闘する。礼拝、祈り、賛美、献げもの、交わり、このサイクルを繰り返す。

「立派な牧師」にならなければという先入観から、なんだか「立派な牧師とそうでない牧師」の尺度が、漠然とではあるが自分の内に出来上がっていった。そして、私は「立派な牧師」になるべく頑張った。もちろんそれは、御霊に従っての奮闘なのだと自分では思っていた。

しかし掘り起こすと、「立派な牧師」という尺度に、福音の尺とは異なる何かが入り込んでいることに気づかされる。立派になる=プライドではないが、しっかりすることによって立派な牧師になるという、自分の奮闘を讃えるような種が見え隠れするのだ。イエス様が私たちをすでに受け入れて下さり、認めて下さっているという原点から外れ、立派になることによって神様から認められるために奮闘していたような気がする。いや、神様というより、周囲からの承認欲求が強かったのかもしれない。神様に受け入れられために、自らが何をしたかは微塵も関係がない。唯一、イエス様が私たちのために負って下さった十字架の犠牲と流された尊き血潮のみが、私たちが神様に受け入れられる根拠である。

神様に受け入れられていることを心で理解してから、イエス様にお従いする。ここは絶対に大切なことだ。しかし、自分の内に潜む間違った尺度は、主と共にある喜びではなく、内に潜む尺に適っているかどうかに重点的な価値が置かれる。そもそも、罪を持つ者が神様の御心に従うことなどできない。一寸でもできているとしたら、それは神様からの恵みである。ここにも、自らを誇る種は一切無いはずだ。

ついには、誰か他の人よりも、自分が神様に従えているかのような錯覚に陥る。私の場合は、その根の存在を容認してしまっていた。容認というより、むしろ気づけなかったという方が正しいかもしれない。ついにその種は、他の牧師先生たちの働きと自分を比べることまでに成長する。傲慢の根は深く根付き、スクスクと育ち、実を味わうことになる。それは、とても苦くて、自らの尺度によって周囲の人たちを測りだすという、とても愚かな姿だった。

聖書を読んで祈ってはいても、福音の原点回帰への道はそれほど簡単ではない。

その実の不味さをダイレクトに味わったのが、近くにいる妻であった。

・ミッションという名の偶像

妻が倒れたことを聞きつけ、下井草のアパートを訪ねてくれた友人がいた。その中の一人に、City to City Japanの働きに関わっているメンバーがいる。敢えて、名前は伏せさせていただく。私たち夫婦がそのような酷い状況にあっても、忍耐強く関わって下さった。Tim Keller氏のメッセージを聞くことを薦め、Movement Meeting に誘い、夫婦のカウンセリングのために時間を割いて下さった。妻には、「ただ賛美を聞いているだけでもいいですよ」と、そっと優しく主の御元に留まる恵みに導いて下さった。

私を掻き立てていたのは一体何だったのだろう。神様のミッションというバナーを掲げ、疲れ果てる。主に従っているという喜びも消え失せていた。メッセージを聞いたり、Movement Meetingに参加させていただくうちに、私にとってはミッションが偶像礼拝になっていたということを悟らされた。誤解を招かないためにも補足させていただくと、神様から与えられるミッション自体が偶像礼拝ということを述べているのではない。私にとって、神様からのミッションを遂行することが牧師として生きる絶対的な価値観になってしまっていたということだ。

だから、牧会がうまくいくために奮闘することには惜しまなかったし、それこそが神様に喜ばれると思っていた。しかし、奮闘すれば奮闘するほど、霊が渇いた。真理は、神様はイエス様ゆえに私たちを喜んで下さっている。であるのに、神様に迎え入れられている喜びが薄れていった。福音の恵みに心が満たされることよりも、牧師として成功することに比重が偏ったのだ。ゆえに、妻が倒れて牧会の道が閉ざされたように思えたとき、泣き崩れたのである。自らの罪を嘆いていたのではなく、自分の人生が上手くいかないことに嘆き、神様に訴えていたのだった。共にいて下さる神様の存在よりも、教会の働きを成功させることの方が重要になってしまっていた。偶像礼拝は、心を枯らせる。

この傾向が、私の内に潜んでいることをハッキリと教えられた。カルヴァンのことばを引用すると、心の中に偶像工場が存在している。何も、ミッションに限ったことではない。「妻が元気でいてくれれば」とか、「子どもたちが主の願いに沿って歩んでくれれば」とか、「経済的に安定すれば」など、何でも偶像になりうる。心のデフォルトモードが、偶像礼拝。自らの内に潜む偶像を棚に上げて、人の偶像を指さすたびに、自らが紛れもなく罪人の頭であることを気づかされる。そして悔い改めへと導かれる。御霊の力によって、偶像工場が破壊されることは確かだが、完全に破壊される恵みに与るのは、御元に召される時だろう。

・光の勝利

光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。(ヨハネ1:5)

どうしようもない惨めな自分の姿。しかし、そんな自分に失望も希望も持たなくてよい。すでに、主は贖って下さっている。そして、自らの姿を嘆くことが、主の御心ではないことを教えられている。

2020年、世界がコロナの渦に巻き込まれる。同年3月20日に、教会開拓の拠点が千葉の大網白里市に移った。8月半ばには教会開拓の働きが公にスタートした。地元の人たちにとっては、私たちは外から来た人であって、こんな時世に何をしに来たのかと不思議がられる。(それこそ)さすがに人を集めることは難しいが、地道にコツコツと関係を築いていく。世界を襲ったパンデミックは、コロナだけではない。どの時代にも、主の光が消え去ることはなかった。主の計画は間違いなく成される。焦らず、慎重に。自らの心を点検しながら歩んでいく。主ご自身にこそ絶対の価値観を置いて、ミッションを進めていくことができるように。ただひたすら、偶像からの立ち返りと、主への信頼の繰り返しである。決して、自分の功績や力や知恵によるものではない。主ご自身が私たちの心を掴んで離さないでいて下さる。


ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。

(詩編20:7)

いよいよ闇が色濃くなる社会。しかし、同時に光が一層輝く社会でもある。私たちの心にも闇は執拗に襲ってくる。しかし、絶対的な力を持って光が完全に勝利される。福音の恵みを経験する旅路において、私たち夫婦も、その勝利を共有する機会が増えている。あの日以降、私たち夫婦の性格は主の恵みの内に少しずつ刷新されている。福音の実は甘美である。全ての人が福音の恵みに与るようにとイエス様が十字架に架かって下さった。私たちは福音の恵みに生かされている。

著者 橋本哲哉

Tetsuya Hashimoto

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宗教法人イエス教日本世界宣教会、千葉平和キリスト教会牧師。教会開拓のかたわら、(株)福豆珈琲代表取締役としてタイの少数民族、アカ族の珈琲園事業を支援する働きにも従事している。妻と子供二人。