「ひとつの方法」

牧師は疲労困憊しています。私自身は毎週教会を導く立場にはありませんが、牧師と頻繁に会う機会があるのでどれだけ先生たちが疲れているかよくわかります。会衆の多くがあちこちに分散していて、中には教会へ戻ってくるのかわからない人もいます。コミュニティーとしてのまとまりがない場合、牧師は何に焦点を絞ればいいのかわからず困惑してしまいます。さらにさまざまな変化に対応するのに果たして自分が適しているかと不安になります。

世の流れや混乱の中で、牧師には新しい戦略やプログラム、方法を練るための時間、エネルギー、資金がないことが多いのです。でももしそんな時、教会のために「簡単にできるひとつの方法」があるとしたらどうでしょう。

私は問題を解決する時はいつもこの「ひとつの方法」というコンセプトを使っています。私はこのコンセプトを、リーダーシップスキルを向上させるために参加した経営カンファレンスで初めて学びました。今は組織の問題を解決するために広範囲で使っています。この方法の核心は「改善のためにできることが一つあるとしたら、それは何か」です。

私の経験とリサーチから教会が会衆の日常生活に関わるために、しかもお金がかからずにできる「ひとつの方法」は、説教のトピックに信仰と仕事を加えることだと思います。

仕事というのは誰でも身近に感じるトピックです。でも牧師は会衆の職業についてどれだけ講壇から話したことがあるでしょうか。統計によるとクリスチャンにとって仕事に行くことと説教を聞くことは、同じくらい大事なことだそうです。それだけ明確なデータがあるのに、ほとんどの教会は仕事という概念、それに伴う苦労や、神と人への愛を示す機会だという視点を礼拝司式に織り交ぜることに苦心しています。

ギャロップ社が167カ国(先進国、開発途上国ともに)でアンケートを取った結果、歴史上珍しい傾向が一つ浮き彫りにされました。地理的、又は社会経済的な立場に関わらず人にとって最も重要なのは仕事だそうです。その理由について議論したり、ケースバイケースだと認識することもできますが、無視してはいけないのはその現実です。私たちが考えるよりはるかに人は仕事を重要視しています。ギャロップ社の社長であるジム・クリフトン氏は、著書「来るべき仕事の戦争」にこう書いています。「人間はこれまで愛、お金、食べ物、住まい、安全性、平和、自由を他の何よりも望んでいた。しかしこの30年で私たちは変わった。人々はよい仕事を得たいし、子供たちにもそうして欲しいと望むようになった」

バーナーグループとワールドビジョンによる「つながる世代:世界の18歳から35歳の統計、2019年版」の結果も、ギャロップ社の結果と一致しています。この統計では、若者たちは日常生活で感じる疑問の答えを教会では得られないと思っている現状が顕著に現れました。この世代は仕事で達成感を得ることや社会に変化を与えるたいと思っています。教会は、そんな彼らにビジョンと希望を与えるような支援をしなければなりません。またこの統計では、「信仰から離れた人々は、教会の教えに不備や乖離があると感じる傾向がある。自分たちの疑問や、日常生活、社会の根本的な問題などに教会は対応できないと思っている…統計から明確に導き出されるのは、より総合的なリーダーシップ開発や職業に関するトレーニングを提供することで、すでに正義感に突き動かされている世代を動かすことだ」とも言われています。

一方で、仕事は人々にとって大きなストレスの原因になっています。アメリカでは85%以上の人々が仕事に関するストレスを訴えています。さらに仕事に十分に生き甲斐を覚えていると感じている人々は世界中で30%しかいません。最近のニューヨークタイムズの記事では「財産と幸福感についてのアンケートの「仕事は40ある活動の中で病気で寝込むことに次いで2番目に最も辛い活動だ」とする調査結果が引用されています。

もし仕事が愛や安定感と同じように大切であるにもかかわらず非常に辛いものでもあり、18〜35歳の世代が日常生活について教会に答えを求めるのなら、仕事というトピックは毎週の教会の集まりで意識的に取り上げられなければなりません。


仕事は教会に集う人にとって特に大切であるとデータが示しています。前述したように説教もまた特に重要だとわかっています。礼拝出席に関してのギャロップ社アンケートによると、75%の回答者が「礼拝の中で一番大事なのは説教だ。特に聖書に基づいて生活に活かせる説教を望む」と答えています。


イエスは常々、日常生活の例を通して教えるため仕事を隠喩として使いました。イエスの37のたとえ話の中で、32は仕事を話題にしています。その中で27は仕事がその論点になっています。すべてのたとえ話の中には22種類の仕事が出てきますが、それは必ずしもいかに働くかについてのたとえ話ではありません。つまりイエスは仕事場での例を用いて、恵み、神の御国、あわれみ、従順さについて教えました。クラウス・イスラーはこう述べています。「イエスは霊的なコンセプトを伝えるために、仕事のイメージとして聴衆に馴染みがある技術的、商業的用語を用いた」。イエスが自身の大工としての経験から仕事の苦労をよく知っていた一方で、隠喩として仕事を用いた頻度から言っても人の心を練り、成長させるために仕事が重要な文脈だと考えていたことは明らかです。牧師が来週にでも取り入れ効果を実感できるのは、イエスがしたように仕事を元にした例話を説教に加えることです。


とはいえ、多くの牧師から、自分は一般的な仕事のあれこれに関して疎いから会衆の仕事について話す資格がないように感じると聞くことがあります。確かに牧師は広告業界や建築業界の詳しい事情はわからないかもしれません。しかし創造された被造物の良さや堕落後の壊れた状態については理解できます。そしてどの業界もその両方を内包しているのです。牧師は利益を上げなければならないプレッシャーを理解できなくても、プレッシャー自体とそれがどう偶像礼拝を暴くのかは理解できます(Theology of Workというサイトには業界での仕事の影響を理解するためのよい資料や聖書箇所が掲載されています)。上司に認められたい願望が、どのように神を喜ばせたい願望より大きくなるかについて話すことができます。同僚の成功に嫉妬したり、出世を越されたことに怒りを感じたりする経験を例として心の奥深くに語りかけることもできます。


仕事は神が私たちのためにつくったものです。私たちの娯楽への欲求がどのようにして仕事を必要悪に変えるのか説教で語ることもできます。神が明日この世界に来られたとしたら、人の仕事について何と言うでしょう。聴衆に聞いてみてください。神はあなたにどう変わって欲しいのでしょうか。イエスは不公平な職場で働く人々を癒やすために苦しんだ救い主だということを伝えてください。


説教は、職場でも有効な聖書の知恵を教えるよい機会でもあります。例えば、放蕩息子の話は家族関係の教えとして使われますが、このたとえ話は職場でも使えないでしょうか。私たちが職場で気まぐれな息子だったり、自分が正しいと思っている息子だったりすることを指摘するのはどうでしょう。そしてそんな私たちに救い主が必要だということを伝えてください。

仮に伝道中心に生きることを説教するとします。「すでに、しかし、まだ」の状態の新しい天地を実感する方法として、金融機関での良い点と壊れている点の両方を説教に取り入れるのはどうでしょうか。銀行員が金融機関での貪欲さをはねつけることができるでしょうか。富を用いて地域の貧しい人々に手を差し伸べることは可能でしょうか。


説教を準備する時に教会員に電話をかけ、仕事、特にその業界に対しての説教の適用に、アイディアや意見を求めるのもいいでしょう。一本の電話、又は職場への訪問も、適用例を見つけるだけでなく、自分の存在が教会の役に立っているのかどうか不確かに感じている会員に関わるいい機会にもなります。


人々にとって仕事は非常に重要です。そんな日常の現実の中で、信仰は納得のいくものでなければなりません。彼らは日常生活の痛みに語りかけてくれるような教会を求めます。説教が重要な役割を果たす教会を選びたいのです。牧師が福音の素晴らしいレンズを通してそのように語るとき、聴く人たちに月曜から金曜までの霊的な道しるべを備えることができるでしょう。そしてそれは、イエス・キリストの希望がどのようにして全てを変えるのかを理解する助けになるはずです。

この記事はMade to Flourish​​掲載記事https://commongoodmag.com/ease-the-sunday-scaries/が2022年7月7日、以下に転載されたものを翻訳したものです。https://redeemercitytocity.com/articles-stories/hdri52v6zqyd3odwr0parlmjnpla0y

著者ミッシー・ウォレス 

Redeemer City To Cityのグローバルプランニングサービスのディレクター。ナッシュビル・信仰/仕事研究所(NIFW)の創設者で前所長。バンダービルト大学で経済学の学士号、ノースウェスタン大学のケロッグ経営学大学院でMBA取得。