ある日の礼拝後。一人の女性が私の肘をつかみながら耳元でささやきました。「あちこち探したのよ!」
私は身構えました。そんな言い方の後に出てくるコメントには気をつけないと。特に教会の集まりでは。
駐車場で車のエンジンをかけっぱなしにしていたかしら? うちの子のオムツが漏れているとか? 想像したくもないけれど、説教中の夫のジッパーが下がっていたとか!
私は立っていた会議室の奥からロビーエリアへと連れて行かれました。
誰か緊急に祈りを必要としている人がいるの? まさかロビーで赤ちゃんが生まれそう? 誰かが私宛にパンプキンラテを置いていってくれたの?
その女性はしきりに天井を指さしました。「見て! 冷房が冷えてないのよ。直さないと」
私はほっと安堵のため息をつき、彼女を軽く抱きしめました。「エアコン? 私には修理できないわ。摂氏と華氏の違いもわからないくらいよ」
彼女は少し考えて、苦笑しました。「でも、あなたは牧師の奥さんでしょう?」
牧師の妻としての最大の恐れ
私たち夫婦は、結婚前から海外宣教を願っていました。夫のデイブは中東でひと夏を過ごし、現地の人々、文化、言語、そして食生活にすっかり魅了されたのです。いつもどうしたらシシ・タウーク(中東の焼き鳥)を献立に入れられるか考えているくらい。
私の方は、大学で信仰を持って数カ月後、友人たちと『Let the Nations Be Glad』を読みました。ジョン・パイパー著のこの本を読んだことがある人なら、なぜ私が第1章を読んでパスポートを申請したのかわかると思います。
私は海外で主に仕える働きについて心躍らせていました。結婚してからは、夫が教会開拓者になることを楽しみにしていました。
でも牧師の妻になることについては、とてつもなく恐ろしいことが一つありました。私が皆の期待に応えることができないこと、それには疑いの余地がなかったから。
それまで牧師の妻についての噂はもうあれこれ聞いてきました。
ピアノを弾き、祈祷会をリードし、クリスマス劇を企画し、クリスマス劇のための赤ちゃんイエス役は自分の子供で、そしておそらく羊飼いや賢者役になる子供も何人か産むことになる。
最新のファッションを熟知しながらも、慎み深さを体現していなければならなず、教会員全員のお腹を満たす分の料理を作り、賛美歌集に載っているすべての賛美歌の歌詞を知っていなければならない。
海外に住んでいる牧師夫人は、長く伸ばした髪を後ろでまとめてお団子にしなければならないと聞いたこともあります。私には無理。だって偶然にも(あるいはそうでないかもしれないけれど)、海外に引っ越す数週間前に長い髪をショートボブに切ってしまったから。だから無理!
この噂をすべて真に受けていたら、私はショックでスーツケースに荷物を詰めることさえできなかったかもしれません。そんなこと、考えただけで最初の食事会でディッシュタオルを投げて降参し、聖餐式で残ったグレープジュースと一緒に階段の下に隠れたくなるかもしれないもの。
そして間違いなく私は飛行機に乗る夫にこう言って送り出すでしょう。「楽しんできてね、ハニー! スカイプして。あなたのために祈っているわ!」と。
夫は50を超える国籍の人々が集う会衆の牧師にはとても向いていると思います。でも私は? インターナショナル教会の牧師の妻になる? 私は自分がその輝かしい職務にふさわしいかどうか自信がなかったのです。
では牧師の妻とは何?
これを読んでいる人は、牧師の妻とはどうあるべきかというそれぞれの視点によって様々なことを考えていると思います。
もしかしたら、他人の期待によってこの役割がつくりあげられているという考えがあなたを不安にさせるのかもしれません。あるいは現実的な代替案が思い浮かばないだけかもしれません。結局のところ、誰もが自分に期待をかけているのだから。
だから私たちが本当に問うべき質問はこうです。「その期待はどこから来るのか?」
この質問の意味をいつも考えること、それが私にとって大きな助けになります。夫は私がスーパーウーマンではないことをよく知っています。教会を立ち上げて数週間後、ドバイのリディーマー教会の信徒たちもこの事実に気づいたくらいですから!
では牧師の妻とは何か? ひとつ言えることは、とてもシンプルです。
「牧師の妻は牧師の妻であるべき」
当たり前のように聞こえるでしょう? でもこの答えを読み解いて適用していくのは必ずしも簡単なことではないのです。
本記事はGospel Coalition HPの以下の記事を許可を得て翻訳転載したものです。
https://www.thegospelcoalition.org/article/the-pastors-wife-is-a-pastors-wife/