神学校を卒業してすぐ千葉の片田舎で宣教師と共に働く機会が与えられ、教会開拓について多くの学びを得て、共に2つの開拓に携わらせていただきました。その中で私が意識の深いところで感じていたことの一つに、孤独感がありました。
一緒に働いている人がいるのに、そのように感じていたのです。もちろん、相談すれば、誰かしらが親身になって聞いてくれましたが、当時の私はまだ駆け出しでした。自分自身が何者なのかという理解において発展途上で、同僚や他の人がどのような期待をもって自分に近づいてくるのかという理解も不十分でした。また、ともかく失敗への恐れに満ちていて、あまり身動きが取れないような状態だったとも思います。今思えば、そんな者によく開拓の一端を担わせることを周囲が決断したなと思います。
その頃の私に、もしも今私が学んでいるような福音中心のコーチと言われる人がいたらどうだっただろうと、時々考えます。少なくとも、途中で体調を崩したり、他の理由で道半ば挫折するような形で辞めることはなかったのかもしれない、と。いや、あったとしても、もう少し癒しの時間が短くても済んだのではないかとも思えます。
クライアントに共感し、心を支えるカウンセラーとは異なり、上手くいく方法や、時に自分の経験を当てはめて語るメンターとも違う存在。また、いわゆる一般的なコーチは答えのすべてがその人のうちにあると考え、その人の内からそれらを導き出すことを求めますが、福音中心のコーチは、主にあってすでに達しているところから、更に主イエス・キリストの似姿に変えられていく道筋を共に歩んでいく、同伴者のような存在だと教えられています。
福音中心のコーチが同伴する中で、共に喜びを分かち合い、時に向き合いたくない自分のあり方や罪の傾向にも向き合い、キリストにある悔い改めと癒しが与えられる機会があります。また、次までにゴールを自分で設定して共に祈り、次回会った時に報告し合います。時には、ゴールを達成できることもあるし、そうではないこともあるけれど、達成できたときも、できなかったときにも、動機、またさらにその裏にある動機を共に探ります。その中で新しく変えられていくプロセスを歩むことができるそうです。
そんなコーチが、神学校卒業後すぐの私の側にいて、「失敗への恐れがあって身動きがとれないのです、また、孤独感に苛まれているのです」と告白したら、どんなふうに同伴してくれたのだろう。また、自分がそのような方のコーチになるとしたら、どんなことを質問するのだろう。そんなことを思いながら、今も学びを続けています。
著者:廣橋信一
Shinichi Hirohashi
日本長老教会佐倉王子台教会、おゆみ野キリスト教会牧師。2020年日本インテンシブ、2021年アジアパシフィックインテンシブにオブザーバーとして参加。昨年よりコーチングコーホートに参加し、福音中心コーチングの学びを続けている。