贈答文化の中で福音に生きる

贈答文化の中で福音に生きる

日本で宣教するにあたり福音に根ざした教会文化の中にも混在する日本の伝統・文化や慣習に対してどう向き合っていくかということがひとつの鍵になるかと思います。海外から来られた宣教師の皆様も日本に長年住んでいるうちにいつの間にかお辞儀を無意識にすることが増えていたり、些細なことでも日常的に「すみません」を多用してしまったり。気付かない内に日本の文化を自分のものとして受け入れていると感じることはありませんか?

韓国教会の成長の減速:何を日本は学ぶことができるのか?

教会員数15,000人の韓国教会の一人の牧師が頭を垂れ泣いた。数分後、その牧師は「教会を大きくする術は知っていたけれど、福音を育てる術を知らなかった。」と言った。

階級社会でリーダーを生み育てる

2015年、私はシティ・トゥ・シティ・アジアパシフィックの『インテンシブ』という、インターナショナル教会開拓のトレーニングに参加しました。三ヶ国にまたがって開催されたこのトレーニングの期間中、トレーナーの一人が、弟子訓練のあり方を、まるで一滴ずつ染み込ませるように教えてくれました。これは非常に印象的で、私の想像力を今日もかき立てているのです。

私たちの間に住んだ神

ヨハネ1:14 「ことば(イエス)は人となって、私たちの間に住まわれた。」

キリスト教を知る上で、カギとなる事実は、処女マリアが神の聖霊によって身ごもり、神が人となって、この地上にやってきたという事実です。この聖書で、「私たちの間に住んだ。」という住むという言葉はギリシャ語では”tabernacle(幕屋、神殿)” という言葉が使われています。要は、神であり人でるイエスは、私たちの中で幕屋・神殿になったということです。どういう意味があるのでしょうか?