私たちの間に住んだ神

ヨハネ1:14 「ことば(イエス)は人となって、私たちの間に住まわれた。」

キリスト教を知る上で、カギとなる事実は、処女マリアが神の聖霊によって身ごもり、神が人となって、この地上にやってきたという事実です。この聖書で、「私たちの間に住んだ。」という住むという言葉はギリシャ語では”tabernacle(幕屋、神殿)” という言葉が使われています。要は、神であり人でるイエスは、私たちの中で幕屋・神殿になったということです。どういう意味があるのでしょうか?

女性に寄り添って歩むパラカレオ

それからの数ヶ月、私は神と教会に幻滅していくのを感じました。このような出来事があったという情報が様々な人の耳に届いていく中、裏切られたんだという思いが私を圧倒するようになり、この時初めて、それまでも耳にしていた牧師の妻の孤独というものに直面しました。外面は強くあろうとしましたが、心の中では「神さま、私をここから出してください!」と叫び声をあげていました。勢いを失い、開拓精神は折れてしまい、希望が私から消えていきました。

私のミニストリーを救った会話

私は落胆し、打ちのめされていました。福音を中心とした教会を立ち上げるため、ペンシルベニア州、スクラントン市へ引っ越したのですが、これほどまでにここが、霊的に石のように冷たく固い場所だとは思いも及びませんでした。

私たちのミニストリーの理解は狭すぎる

あなたは、「ミニストリー」という言葉をどのように理解していますか。週の半ばのスモールグループを率いること、または出席することをミニストリーと考えるかもしれません。教会の後、ホームレスの人たちに食事を用意することであったり、一週間の有給を使い、バケーションに行く代わりに海外宣教活動に参加したりすることかもしれません。

注目されない人生を歩む

エノクという名の人物について、私たちは多くを知りません。聖書には、他の登場人物たちについて記されているような、見事な手柄や勝利した戦い、信仰により辿った道のりなど、彼の人生の詳細について、ほとんど記されていません。読者が知ることができるのは、彼はアダムとノアの間の7世代目で、父親はエレデ、息子は長寿で有名なメトシェラということだけです(創世記5章18-24節)。彼の目立たない人生(歴史的名声、聖書に残る記録という面から)にも関わらず、エノクは、あの有名な「信仰者の殿堂」の二番目に記されています(へブル11章)。