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多くの人が働き過ぎていると感じているのは周知の事実です。あなたもその一人かもしれません。従業員の平均労働時間が週45時間という私の国マレーシアは、アジアで最も働き過ぎの人が多い国です。クアラルンプールは最近、世界で3番目に働き過ぎの都市に位置づけられました。
過労はストレスの増加や家族との時間の減少をもたらすだけではありません。実際に私たちの命を奪っています。ある調査によると、長時間労働が原因で毎年心臓病や脳卒中で命を落としている人は世界で75万人にのぼると推定されています。
なぜ私たちは働き過ぎるのか?
仕事の存在自体が問題だと指摘する意見があります。罪を犯した人間に対して神が与えた罰だと言うのです。しかし、この考えは聖書にはありません。神ご自身が働かれました。天地の創造は神ご自身の労働です。また、神はアダムに園での仕事を与えました(創世記2:15)。アダムとエバは罪を犯す前から仕事を任されていたのです.
仕事の有無が問題なのではありません。問題は、私たちの魂に真の深い休息がないことです。過労は多くの場合、より深い問題の徴候です。私たちは自分の価値を仕事に求めています。これは、自分自身、家族、同僚、そして教会に対して自分自身を証明するという、終わりのないサイクルへと私たちを導くことになります。
例えば私たちが一つのプロジェクトを終えても、まだ十分ではないのです。会社で昇進したら、次はもっと高いポジションにつきたいと願います。もっとお金を儲けたいという欲望にかられます。私たちは、社会が示している「人生の次の目標を達成したら休める」という嘘を信じているのです。
実際、私たちは決して満たされることはないのです。キャリアと達成感の中に自分の核となるアイデンティティを見出すことに私たちの問題があるのです。
解決策は?
真の安息はイエス・キリストのうちにしか見いだすことは出来ません。私たちは、自分の主なアイデンティティと達成感を職業に求めるのをやめなければなりません。むしろそれは神に愛された子どもであるというアイデンティティだと認めるのです。救いは、私たちが成し遂げたことではなく、イエスが十字架上で成し遂げてくださったことに基づいています。ティム・ケラーの言葉を借りると、「私たちが求める安らぎの究極的な源はイエス・キリストです。イエス・キリストは十字架上で私たちのために労苦されたので、私たちに魂の真の安らぎを与えてくださるのです。(マタイ11:28-30)」。
キャリアを偶像化することから離れ、イエスに目を向けるとき、私たちは召命と休息に対する正しい視点を取り戻すことができます。仕事と同様に、休息も神が創造された当初のデザインの一部でした。神は休息を取られました(創世記2:2-3)。同様に、神はご自身の民に安息日を守るように命じられました。
毎週1日休みを取ることでこの箇所を適用したと考える人もいるでしょう。しかし、安息日の実践は休暇以上のものを意味します。実際には、安息日を実践するには、安息日の心がなければ実践できません。マーク・ブキャナンは『神の休息』の中で次のように書いています。「安息日の心とは、不安と動乱の真っ只中にいても安らかでいることだ。行き交う人々の中にあっても、神と他者の存在に注意を払うこと。山が海に落ちようとも、静止して神を知ること。安息日の心なくして安息日を迎えること決してない。」
安息日の実践は、落ち着かない心に福音を説くことから始まります。どうすれば安息日の心を持つことができるのでしょうか?ティム・ケラーは洞察に満ちた説教の中で、これらの真理を定期的に自分自身に語りかけることを勧めています.
・真の安息日はイエスにある。クリスチャンになるということは、「私は私の業によって休むのではなく、主の業によって休むこと。私は主の完成された業によって休む。」私たちがなすべき必要なことはすべて終わっていると理解することです。
・安息日は神の設計を祝うもの。休みを取ることは、神の創造の素晴らしさを楽しむことになります。労働と余暇のリズムを乱すことは、私たちの生活と周囲の人々の乱れにつながります。
・安息日は私たちの自由の宣言である。安息日を尊ぶことで、神はご自身の民が奴隷状態から解放されたことを思い出すことを望まれました(申命記5:15)。もし休まなければ、私たちは自分や他人の期待の奴隷になってしまいます。自分に言い聞かせるのです: 「私のキャリアが私を決めるのではなく、キリストが私を決めるのだ。」
・安息日は信頼の行為である。私たちは自分に言い聞かせることができます: 「世界を動かしているのは私ではない。安息とは、神が全宇宙の主権者であることを信頼することなのだ。」
福音の真理を心に説くと同時に、私たちは忙しい生活を方向転換することによって、福音の休息と安息日を実践しなければなりません。いくつかの実践的なアイデアを紹介します。
・安息日を予定する: 過重労働が常態化した社会で生きるということは、おそらく今よりももっとゆっくりとした時間が必要になるということです。毎日、毎週、3ヶ月ごと、そして年間スケジュールの中で、あなたはどのように安息日を実践しますか?家族に対してはどのように対応しますか?
・安息日の時間を計画する: 安息日は個人や家族によって異なります。健全な安息日をとるためには、神の創造物を楽しんだり、思いにふける時間を作ったり、身体を休める時間が含まれます。また、ソーシャルメディアから離れることも大切です。どのような活動がリフレッシュと再生の助けとなりますか?
・「ノー」と言うことを学ぶ:すでに負荷がかかりすぎている場合、もっと頻繁に「ノー」と言えば良いのです。これは、約束の数や種類を減らすことを意味するかもしれません。そのためには、良い機会であっても、祈りを持って潔く断ったり、延期したりする必要があります。
地域社会の支援を求める: 私たちは、自分が直面している重荷を誰も理解してくれないと思っているかもしれません。神の御計画は、私たち教会員が互いに重荷を負い合うことです。もしあなたが疲れ果てていると感じている時、その悩みを分かち合い、他の人に助けを求めたことがありますか?
私たちがどのように働き、どのように休むかは、世界への証しです。私たちの生き方は、私たちの人生において誰が最も重要であるかを他者に示すことになります。忙しさの文化の中で、私たちの家族、友人、同僚は皆、休息を見つけようとしています。私たちは、イエスのうちに見出した真の休息について、どのように周りの人々に伝えることができるでしょうか。
著者:マシュー 。青年期にイエスを信じ、日々福音の美しさを再発見している。医療講師として働きながら仕事やキャリアにおいて、妻ジェシカと共に人々が福音を実践する助けになりたいと願っている。