CTC DNA:文化に関わるとは?

大都会で宣教する場合、文化との交流は重要です。しかしそれも聖書の知恵をもってなされなければなりません。たとえ母国に住んでいたとしても、私たちは異なるグループや世代に囲まれています。それは都市なら尚更です。文脈化と文化との交流について、City to City DNAではキリスト教と文化との関係は重要だと強調しています。文脈化と文化との交流は関連し重複していますが、文脈化は主に教会のメッセージやスタイルがその時代背景や場所によってどう築き上げられているかに注力します。一方、文化との交流は、教会の周りの社会との関係に注力します。市民としての生活の中で「塩と光」であるとはどんな意味があるのか? 「巡礼者」や「亡命者」とは? といったことについて考えます。 

現代社会で信仰に至る道

現代社会に浸透しているのはメディアだけではない。フェイスブックやツイッターなどソーシャルメディアの並外れた成功は、実はもっと大きな潮流が可視化したものだと指摘する声が増えている。フェイスブックはインターネットを広大で不透明なコンテンツから、関係性に意味を見出すネットワーク(インターネット2.0と呼ばれている)へと変化させた。それと同じように人々の人生や信仰への取り組み方も変わってきている。それはもっと社会的になる一方で個人主義は薄れ、何かを信じたり考えたりするより何かに属していることが重視されるようになってきた。

CTC DNA:  文脈化とは何か?

文脈化とは、聖書の真理をそれぞれの文化に合わせて表現し、実践することです。そうすることで聖書の真理を全く妥協することなく、同時にできるだけわかりやすく説得力をもって伝えられるようになります。そのためには次にあげる二点を避けなければなりません。第一は過度な文脈化です。その文化の表現や慣習に合わせるというよりも、真理そのものを改ざんして真理を尊重することができません。第二は不十分な文脈化です。不必要に異質で理解しにくく、これもまた真理を尊重できません。

牧師の妻は牧師の妻

ある日の礼拝後。一人の女性が私の肘をつかみながら耳元でささやきました。「あちこち探したのよ!」

私は身構えました。そんな言い方の後に出てくるコメントには気をつけないと。特に教会の集まりでは。

駐車場で車のエンジンをかけっぱなしにしていたかしら? うちの子のオムツが漏れているとか? 想像したくもないけれど、説教中の夫のジッパーが下がっていたとか!